中山道 板鼻~安中 [街道歩き]
さて、板鼻宿から安中宿までの区間距離は3.3kmですが、安中宿のチェックポイントはJR安中駅をはるかに過ぎた、本陣跡になっています。本陣跡まで歩くと、かなりの距離を戻って安中駅まで行かなければなりません。今日は安中駅までにしましょう。時速や歩幅などに誤差が出ますが、次回補正することにします。10:17、再び歩き始めます。
本陣跡(公民館)の隣に、旧てうちん(提灯)屋があります。土蔵造りの商家です。
右手に板鼻堰用水路が流れています。慶長年間(江戸初期)の開削。
宿場らしい佇まいの家。
板鼻宿の京(西)口、鷹之巣橋の東詰に、鷹巣神社があります。
ここで左折し、鷹之巣橋を渡ります。渡る川は碓氷川です。
鷹之巣橋をわたりきったらすぐ右折するのですが、街道としては「右折」というよりも「旧道復帰」です。つまりかつては橋の先に渡し場があったわけです。鷹之巣橋を渡り切って正面左側には諏訪神社があります。
諏訪神社の前で横断歩道で国道を渡り、向こう側の道に入ります。
すぐ、T字路に突き当たるので左折します。これで旧道復帰です。中宿の旧道です。
旧道らしい家。
左側に庚申塔道標。
Y字路を右にとります。又にある家もなかなかいい感じです。
又に道標があります。
正面に石垣が見え、道はそれに沿って左に曲がっていきます。ここが「二ツ橋」跡です。往時、中洲を経て二つの仮橋が、碓氷川にかかっていたということです。今は、もう少し先で、久芳橋で渡りますので、道なりに左に行きます。
右側に馬頭観音。
この十字路、左側にカットハウスWanがあるところが、JR安中駅の最寄の場所です。今日はここまでにしましょう。
板鼻・安中のほぼ中間点なので、あまり意味はありませんが、次回補正する前提で、いちおう記録を見ておきましょう。区間距離は3.3km、所要時間28分、歩数2,692歩。平均時速7.1km、平均歩幅123cm(ありえない!)でした。
この日のまとめ。総距離16.7km、所要時間3時間35分、歩数21,448歩。平均時速4.7km、平均歩幅78cm。
さて、帰りましょう。安中駅。
ここから高崎まで帰る信越本線は1時間に1本です。ゆったり待ちましょう。
高崎駅で昼食。この店で、特製峠の釜めし(普通のより小さい)の定食。
高崎駅前から、車で帰りました。
本陣跡(公民館)の隣に、旧てうちん(提灯)屋があります。土蔵造りの商家です。
右手に板鼻堰用水路が流れています。慶長年間(江戸初期)の開削。
宿場らしい佇まいの家。
板鼻宿の京(西)口、鷹之巣橋の東詰に、鷹巣神社があります。
ここで左折し、鷹之巣橋を渡ります。渡る川は碓氷川です。
鷹之巣橋をわたりきったらすぐ右折するのですが、街道としては「右折」というよりも「旧道復帰」です。つまりかつては橋の先に渡し場があったわけです。鷹之巣橋を渡り切って正面左側には諏訪神社があります。
諏訪神社の前で横断歩道で国道を渡り、向こう側の道に入ります。
すぐ、T字路に突き当たるので左折します。これで旧道復帰です。中宿の旧道です。
旧道らしい家。
左側に庚申塔道標。
Y字路を右にとります。又にある家もなかなかいい感じです。
又に道標があります。
正面に石垣が見え、道はそれに沿って左に曲がっていきます。ここが「二ツ橋」跡です。往時、中洲を経て二つの仮橋が、碓氷川にかかっていたということです。今は、もう少し先で、久芳橋で渡りますので、道なりに左に行きます。
右側に馬頭観音。
この十字路、左側にカットハウスWanがあるところが、JR安中駅の最寄の場所です。今日はここまでにしましょう。
板鼻・安中のほぼ中間点なので、あまり意味はありませんが、次回補正する前提で、いちおう記録を見ておきましょう。区間距離は3.3km、所要時間28分、歩数2,692歩。平均時速7.1km、平均歩幅123cm(ありえない!)でした。
この日のまとめ。総距離16.7km、所要時間3時間35分、歩数21,448歩。平均時速4.7km、平均歩幅78cm。
さて、帰りましょう。安中駅。
ここから高崎まで帰る信越本線は1時間に1本です。ゆったり待ちましょう。
高崎駅で昼食。この店で、特製峠の釜めし(普通のより小さい)の定食。
高崎駅前から、車で帰りました。
中山道 高崎~板鼻 [街道歩き]
7:58、再び歩き始めます。田町。飲み屋さんの壁に、田町絹市場の案内板。
信号本町三丁目で左折します。
左折してすぐ、左側に蔵造りの商家があります。旧山源漆器店、元山田家です。
信号本町一丁目。国道はここで右折しますが、中山道は直進。道幅が狭くなります。赤坂通りという名前がついています。
右側に長松寺。
左側に番所跡案内板。
宮澤工芸。
岡醤油醸造。天明七年(1787年)創業の老舗。
信号常磐町。右折ポイントです。曲がり角の右側に「山田文庫」があります。実業家で学者でもあった山田勝次郎が私邸を図書館として一般開放したそうです。文庫の建物そのものは門の中ですが、信号常磐町手前の右側にある事務所も煉瓦造りのいい感じの建物です。
常磐町の家。
左側に紋平稲荷神社。
右側に並榎町坂下公民館があります。左折ポイントです。
まず、公民館の向かい側を左折します。
そしてすぐ、原付・自転車・歩行者・豊岡方面の標識に従い、右側に入ります。
歩道はそのまま、君が代橋の歩道になります。烏川を渡ります。
渡り切ったら、左側に、下に下りる階段があります。この階段を下りて、地下道で国道18号線を反対側に渡ります。
地下道を出た正面に萬日堂があります。ここに、「みかえり阿弥陀像」があるそうです。みかえり阿弥陀といえば、京都の「もみじの永観堂」にあるものです。僧・永観が念仏を唱えながら歩いていると、前を阿弥陀様が歩いており、振り向いて「永観遅し」とおっしゃったという、あの像です。
萬日堂の前は道なりに左に行き、T字路の萬治畳店の前で左折します。
すぐ、国道に突き当たります。
国道に突き当たって右に曲がると、国道はすぐY字に分かれます。左が18号線、右が406号線です。中山道は右です。
右側に石神社。
信号下豊岡町西。このY字路は右です。左側を歩いていると。横断歩道がないので要注意です。
そのすぐ先のY字路を左に入ります。又に自然石の道標がありますが、道の反対側からは読めません。
すぐ脇に、読みやすい道標があります。
隣に八坂神社。
豊岡の旧道が始まります。左手に若宮八幡宮。
旧道らしい家。
右手に常安寺。
右手に神明宮。
左側に庚申塔。
そして、左側に、飯野茶屋本陣跡があります。ここ、上豊岡は高崎・板鼻間の間の宿でした。皇女和宮も休息しました。
右手に石塔石仏群。
左側に金ヶ崎不動尊。
旧道が国道18号線に合流する直前、右側に、上州櫓(やぐら)造りの旧家があります。養蚕用の小屋根があります。そういえば、群馬といえば養蚕ですね。
国道18号線に合流します。
旧道は、右側のうねうねした側道です。
そのまま側道を歩きます。
国道に合流します。
左側、つまり国道の反対側にひときわ目立つ榎が、藤塚の一里塚です。群馬県内に現存する唯一の一里塚です。
その向かい側つまり右手、高いところに浅間神社があります。一里塚(北塚)の跡です。
右側に天照皇大神宮。
右側に、だるま工房「大門屋」があります。
右手に、上野国一社八幡宮の赤鳥居。
安中市に入ります。
右手に橋供養塔。
信号板鼻下町。ここで右に入ります。板鼻宿の入口です。
すぐ、Y字路を左です。
分岐点に頌徳碑。
そして道標。
板鼻川橋で板鼻川を渡ります。
右手に石塔石仏群。双体道祖神があります。
その先にも石塔石仏群。中心はお地蔵様ですね。
信越本線の踏切を渡ります。
右側に榛名道道標。
板鼻宿の核心部に入ってきました。板鼻館。タルタルソースカツ丼の名店ですが、まだ10時、さすがに早すぎるので、スルーです。
板鼻宿の交差点をすぎてすぐ、右側の公民館前に、本陣跡の碑と板鼻宿の碑があります。板鼻宿到着です。
10:10到着。区間距離8.5km、所要時間2時間11分、歩数12,342歩。平均時速3.9km、平均歩幅69cmでした。
信号本町三丁目で左折します。
左折してすぐ、左側に蔵造りの商家があります。旧山源漆器店、元山田家です。
信号本町一丁目。国道はここで右折しますが、中山道は直進。道幅が狭くなります。赤坂通りという名前がついています。
右側に長松寺。
左側に番所跡案内板。
宮澤工芸。
岡醤油醸造。天明七年(1787年)創業の老舗。
信号常磐町。右折ポイントです。曲がり角の右側に「山田文庫」があります。実業家で学者でもあった山田勝次郎が私邸を図書館として一般開放したそうです。文庫の建物そのものは門の中ですが、信号常磐町手前の右側にある事務所も煉瓦造りのいい感じの建物です。
常磐町の家。
左側に紋平稲荷神社。
右側に並榎町坂下公民館があります。左折ポイントです。
まず、公民館の向かい側を左折します。
そしてすぐ、原付・自転車・歩行者・豊岡方面の標識に従い、右側に入ります。
歩道はそのまま、君が代橋の歩道になります。烏川を渡ります。
渡り切ったら、左側に、下に下りる階段があります。この階段を下りて、地下道で国道18号線を反対側に渡ります。
地下道を出た正面に萬日堂があります。ここに、「みかえり阿弥陀像」があるそうです。みかえり阿弥陀といえば、京都の「もみじの永観堂」にあるものです。僧・永観が念仏を唱えながら歩いていると、前を阿弥陀様が歩いており、振り向いて「永観遅し」とおっしゃったという、あの像です。
萬日堂の前は道なりに左に行き、T字路の萬治畳店の前で左折します。
すぐ、国道に突き当たります。
国道に突き当たって右に曲がると、国道はすぐY字に分かれます。左が18号線、右が406号線です。中山道は右です。
右側に石神社。
信号下豊岡町西。このY字路は右です。左側を歩いていると。横断歩道がないので要注意です。
そのすぐ先のY字路を左に入ります。又に自然石の道標がありますが、道の反対側からは読めません。
すぐ脇に、読みやすい道標があります。
隣に八坂神社。
豊岡の旧道が始まります。左手に若宮八幡宮。
旧道らしい家。
右手に常安寺。
右手に神明宮。
左側に庚申塔。
そして、左側に、飯野茶屋本陣跡があります。ここ、上豊岡は高崎・板鼻間の間の宿でした。皇女和宮も休息しました。
右手に石塔石仏群。
左側に金ヶ崎不動尊。
旧道が国道18号線に合流する直前、右側に、上州櫓(やぐら)造りの旧家があります。養蚕用の小屋根があります。そういえば、群馬といえば養蚕ですね。
国道18号線に合流します。
旧道は、右側のうねうねした側道です。
そのまま側道を歩きます。
国道に合流します。
左側、つまり国道の反対側にひときわ目立つ榎が、藤塚の一里塚です。群馬県内に現存する唯一の一里塚です。
その向かい側つまり右手、高いところに浅間神社があります。一里塚(北塚)の跡です。
右側に天照皇大神宮。
右側に、だるま工房「大門屋」があります。
右手に、上野国一社八幡宮の赤鳥居。
安中市に入ります。
右手に橋供養塔。
信号板鼻下町。ここで右に入ります。板鼻宿の入口です。
すぐ、Y字路を左です。
分岐点に頌徳碑。
そして道標。
板鼻川橋で板鼻川を渡ります。
右手に石塔石仏群。双体道祖神があります。
その先にも石塔石仏群。中心はお地蔵様ですね。
信越本線の踏切を渡ります。
右側に榛名道道標。
板鼻宿の核心部に入ってきました。板鼻館。タルタルソースカツ丼の名店ですが、まだ10時、さすがに早すぎるので、スルーです。
板鼻宿の交差点をすぎてすぐ、右側の公民館前に、本陣跡の碑と板鼻宿の碑があります。板鼻宿到着です。
10:10到着。区間距離8.5km、所要時間2時間11分、歩数12,342歩。平均時速3.9km、平均歩幅69cmでした。
中山道 倉賀野~高崎 [街道歩き]
9月9日、土曜日。前週に引き続いて秋晴れの中、中山道ウォークです。まず車で高崎まで行きます(倉賀野駅周辺には駐車場がありません)。ルートは圏央道経由。途中、海老名SAの吉野家で、焼魚定食の朝食。
そこから高崎線で一駅、出発点の倉賀野まで戻ります。倉賀野駅。
さあ、出立しましょう。信号倉賀野駅入口、7:00です。
歩き始めてすぐ、右側に須賀喜太郎脇本陣跡があります。
そして左側に脇本陣跡碑。
右側に高札場跡。
前回歩いた部分も含めて、倉賀野宿は宿場町の香りが濃厚です。
左側に倉賀野神社。
右側に安楽寺。
左側に一里塚跡の案内板があります。
信号上町西の先に、少し松並木があります。
左側に、だるま弁当で有名な高崎弁当「たかべん」。
信号倉賀野西のあたり、右側に旧道の痕跡があるのですが、うっかりスルーしてしまいました。さらに歩き続けると、国道17号線の高架をくぐります。
さらに上越新幹線の高架をくぐります。
右側に巨大な高崎アリーナ。
上信鉄道の踏切を渡ります。
左側に愛宕神社。
そして、信号あら町。高崎宿のチェックポイントです。7:55着。区間距離は4.9km、所要時間55分、歩数6,414歩。平均時速5.3km、平均歩幅76cmでした。
そこから高崎線で一駅、出発点の倉賀野まで戻ります。倉賀野駅。
さあ、出立しましょう。信号倉賀野駅入口、7:00です。
歩き始めてすぐ、右側に須賀喜太郎脇本陣跡があります。
そして左側に脇本陣跡碑。
右側に高札場跡。
前回歩いた部分も含めて、倉賀野宿は宿場町の香りが濃厚です。
左側に倉賀野神社。
右側に安楽寺。
左側に一里塚跡の案内板があります。
信号上町西の先に、少し松並木があります。
左側に、だるま弁当で有名な高崎弁当「たかべん」。
信号倉賀野西のあたり、右側に旧道の痕跡があるのですが、うっかりスルーしてしまいました。さらに歩き続けると、国道17号線の高架をくぐります。
さらに上越新幹線の高架をくぐります。
右側に巨大な高崎アリーナ。
上信鉄道の踏切を渡ります。
左側に愛宕神社。
そして、信号あら町。高崎宿のチェックポイントです。7:55着。区間距離は4.9km、所要時間55分、歩数6,414歩。平均時速5.3km、平均歩幅76cmでした。
中山道 新町~倉賀野 [街道歩き]
新町までの予定でしたが、天気は最高、秋風が心地よい、というわけで、もう少し先に進むことにしました。12:11再スタート。
すぐ、左手に旅籠高瀬屋跡。
温井川(ぬくいがわ)を弁天橋で渡りますが、その前、左側に弁財天があります。ここはかつて川中の島「弁天島」でした。
温井川を渡ります。
渡ると藤岡市に入ります。
川を渡ってすぐのY字路を右に取ります。
分かれ道に旧中山道標識があります。
右手に伊勢島神社。
国指定有形文化財の川端家。江戸時代の豪農であり、明治に入ると生糸の貿易で財をなしたそうです。
その先に信仰庵。
関越道をくぐります。
くぐる直前に中山道道標。
関越道をくぐると、中島の旧道トレースです。このY字路を左に進みます。Y字路といいながら、左に直角に曲がる道もありますが、そちらに進んではいけません。
用水路が中央にある道を進みます。旧道の雰囲気のある、いい感じの道になっています。
八木さんの地図には「県道の手前の電柱の所から土手上に上がる」とあります。県道の手前、電柱といえばこれですが・・・
道は・・・これ?!
土手上の道に上がります。
土手上の道を進み、わかりにくのですがここで土手からおります。中島の旧道入口です。
ここを左折します。
ここを右折します。右側に有坂様のお宅があるところです。
突き当りを右折します。
旧中山道の標識があります。
土手に突き当たります。左折します。
道が尽きてしまいました。道はありませんが、ここで土手上に上がります。
これから渡る柳瀬橋が見えます。
ここで右折して、烏川を柳瀬橋で渡ります。
渡り切ったら、再び高崎市になります。
渡しの先の旧道に復帰するため、右折して土手道を進みます。
管理施設「岩鼻樋管」の向かい側にある石段を下り、旧道に復帰します。
旧道に復帰しました。
趣のある家があります。
左手に北向子育観音。
信号岩鼻町は直進です。
まもなく旧道分岐です。左側に「八栄鮨」があるのが目印で、ここを左に入ります。
すぐ県道に合流します。
信号新柳瀬橋北を過ぎると、高崎線を渡る跨線橋にかかります。困ったことに左側には歩道がなく、しかもそれが事前にはわかりません。柳瀬橋北で反対側に渡っておくのがおすすめです(ぼくは知らなかったのでそのまま左側を進みました)。
どこかの会社の入口にあった牛。結構なインパクト。
関東ロックウールのところで旧道が左手に分かれます。
すぐのY字路を右。
次のY字路も右。
右側、理容タカハシの手前に馬頭観音。
理容タカハシのところで県道に合流します。
信号下町直進。いよいよ倉賀野宿に入ります。
左側に黒塀に門構えの旧家があります。
並びに卯建をあげた旧家。
和菓子の丁子堂。
左側に、中山道倉賀野宿碑と双体道祖神。
駐車場に本陣跡碑。
そして信号倉賀野駅入口、到着です。ちょうど14:00。
そこに御伝馬人馬継立場跡の碑があります。
新町からの区間距離は7.9km。所要1時間49分、歩数9,790歩。平均時速4.3km、平均歩幅81cmでした。平均時速が遅いのは、倉賀野宿に入ってから旧家の撮影に時間を要したからです。
今日はここまで。総距離16.9km、所要時間3時間40分、歩数21,578歩。平均時速4.6km、平均歩幅78cmでした。
倉賀野駅まで約400m。駅はこれです。「自由通路」から駅に入ります。
さて、昼食です。倉賀野駅の周りには何もありそうにありません。一駅先が高崎です。高崎まで行きましょう。
高崎でも、あまりゆっくりしていると帰りが遅くなります。結局、駅そばになりました。
では、帰りましょう。横浜までは長い旅です。
すぐ、左手に旅籠高瀬屋跡。
温井川(ぬくいがわ)を弁天橋で渡りますが、その前、左側に弁財天があります。ここはかつて川中の島「弁天島」でした。
温井川を渡ります。
渡ると藤岡市に入ります。
川を渡ってすぐのY字路を右に取ります。
分かれ道に旧中山道標識があります。
右手に伊勢島神社。
国指定有形文化財の川端家。江戸時代の豪農であり、明治に入ると生糸の貿易で財をなしたそうです。
その先に信仰庵。
関越道をくぐります。
くぐる直前に中山道道標。
関越道をくぐると、中島の旧道トレースです。このY字路を左に進みます。Y字路といいながら、左に直角に曲がる道もありますが、そちらに進んではいけません。
用水路が中央にある道を進みます。旧道の雰囲気のある、いい感じの道になっています。
八木さんの地図には「県道の手前の電柱の所から土手上に上がる」とあります。県道の手前、電柱といえばこれですが・・・
道は・・・これ?!
土手上の道に上がります。
土手上の道を進み、わかりにくのですがここで土手からおります。中島の旧道入口です。
ここを左折します。
ここを右折します。右側に有坂様のお宅があるところです。
突き当りを右折します。
旧中山道の標識があります。
土手に突き当たります。左折します。
道が尽きてしまいました。道はありませんが、ここで土手上に上がります。
これから渡る柳瀬橋が見えます。
ここで右折して、烏川を柳瀬橋で渡ります。
渡り切ったら、再び高崎市になります。
渡しの先の旧道に復帰するため、右折して土手道を進みます。
管理施設「岩鼻樋管」の向かい側にある石段を下り、旧道に復帰します。
旧道に復帰しました。
趣のある家があります。
左手に北向子育観音。
信号岩鼻町は直進です。
まもなく旧道分岐です。左側に「八栄鮨」があるのが目印で、ここを左に入ります。
すぐ県道に合流します。
信号新柳瀬橋北を過ぎると、高崎線を渡る跨線橋にかかります。困ったことに左側には歩道がなく、しかもそれが事前にはわかりません。柳瀬橋北で反対側に渡っておくのがおすすめです(ぼくは知らなかったのでそのまま左側を進みました)。
どこかの会社の入口にあった牛。結構なインパクト。
関東ロックウールのところで旧道が左手に分かれます。
すぐのY字路を右。
次のY字路も右。
右側、理容タカハシの手前に馬頭観音。
理容タカハシのところで県道に合流します。
信号下町直進。いよいよ倉賀野宿に入ります。
左側に黒塀に門構えの旧家があります。
並びに卯建をあげた旧家。
和菓子の丁子堂。
左側に、中山道倉賀野宿碑と双体道祖神。
駐車場に本陣跡碑。
そして信号倉賀野駅入口、到着です。ちょうど14:00。
そこに御伝馬人馬継立場跡の碑があります。
新町からの区間距離は7.9km。所要1時間49分、歩数9,790歩。平均時速4.3km、平均歩幅81cmでした。平均時速が遅いのは、倉賀野宿に入ってから旧家の撮影に時間を要したからです。
今日はここまで。総距離16.9km、所要時間3時間40分、歩数21,578歩。平均時速4.6km、平均歩幅78cmでした。
倉賀野駅まで約400m。駅はこれです。「自由通路」から駅に入ります。
さて、昼食です。倉賀野駅の周りには何もありそうにありません。一駅先が高崎です。高崎まで行きましょう。
高崎でも、あまりゆっくりしていると帰りが遅くなります。結局、駅そばになりました。
では、帰りましょう。横浜までは長い旅です。
中山道 本庄~新町 [街道歩き]
9月2日、土曜日。雨予報となっていましたが、昼からは晴れる、ということで、遅い出発で街道歩きに出かけました。
遅い出発のときは電車に限ります。7:59横浜駅発の上野東京ライン、高崎行きで、本庄まで。
本庄宿のチェックポイント、信号本庄駅入口を10:18に出立しました。風は完全に秋、青空も見られます。暑さは全く感じません。遅い出発なので、とりあえず次の新町宿までの予定です。
歩き始めてすぐ、右側にある「戸谷八」は、創業永禄三年とあります。西暦1560年。
中山道辛味処、電気館カレー。
左側にある赤レンガの建物。お隣、深谷が煉瓦の産地であり、この深谷煉瓦を使用した、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫です。
右手に安養院。
街道筋には、いい感じの建物が見られます。
右側に現れる金鑚神社。大切な右折チェックポイントです。
金鑚神社の向こう側、信号千代田三丁目で右折です。
右折すると、歩道(左側)に、中山道の宿場名が埋め込まれています。日本橋から草津まであります。
宿場名の埋め込みが尽きたところ、歩道橋の手前を左折します。
旧道の様子。
まもなく旧道は県道に合流します。
県道沿いではありますが、趣のある家が見られます。
上里町に入ります。
左手に浅間神社。古墳の上に祀られているそうです。
御陣場川を楠森橋で渡ります。
道の両側に庚申塔があります。これが左側の庚申塔。
右側の庚申塔。
蔵。
信号神保原1丁目。T字路を右折します。
信号神保原(北)で国道17号線を横断し、向かい側の斜め左方向に道に入ります。
左側に、石塔石仏群に囲われた薬師堂があります。
右手に金久保八幡神社。
左手にある、金窪城址案内板。
右手にある、三国道入口の標石。新町宿への直路ができるまでは、ここで曲がって、倉賀野宿に向かっていたそうです。
左手に陽雲寺。
右手にある畑時能首塚。新田義貞の家臣です。
左手にある中山道解説板。
右手にある慰霊の碑。
右手に石塔石仏群。
その先に一里塚跡。お堂の脇にあります。
街道が国道に合流する直前にある、趣のある塀。
信号勅使河原(北)で国道17号線に合流します。
神流川(かんながわ)を神流川橋で渡ります。
神流川を渡ると群馬県、上野国です。
神流川古戦場跡碑。
街道はここで国道から右手に分かれます。新町宿に入っていきます。
Y字路の又に復元された見透燈籠。
右手に八坂神社。
右手に諏訪神社。
右手に専福寺。
右手に浄泉寺。
右手に高札場跡。
そして新町宿のチェックポイント、信号新町駅入口です。12:09着。
本庄宿からの区間距離は9.0km。所要1時間51分、歩数11,788歩。平均時速4.9km、平均歩幅76cmでした。
遅い出発のときは電車に限ります。7:59横浜駅発の上野東京ライン、高崎行きで、本庄まで。
本庄宿のチェックポイント、信号本庄駅入口を10:18に出立しました。風は完全に秋、青空も見られます。暑さは全く感じません。遅い出発なので、とりあえず次の新町宿までの予定です。
歩き始めてすぐ、右側にある「戸谷八」は、創業永禄三年とあります。西暦1560年。
中山道辛味処、電気館カレー。
左側にある赤レンガの建物。お隣、深谷が煉瓦の産地であり、この深谷煉瓦を使用した、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫です。
右手に安養院。
街道筋には、いい感じの建物が見られます。
右側に現れる金鑚神社。大切な右折チェックポイントです。
金鑚神社の向こう側、信号千代田三丁目で右折です。
右折すると、歩道(左側)に、中山道の宿場名が埋め込まれています。日本橋から草津まであります。
宿場名の埋め込みが尽きたところ、歩道橋の手前を左折します。
旧道の様子。
まもなく旧道は県道に合流します。
県道沿いではありますが、趣のある家が見られます。
上里町に入ります。
左手に浅間神社。古墳の上に祀られているそうです。
御陣場川を楠森橋で渡ります。
道の両側に庚申塔があります。これが左側の庚申塔。
右側の庚申塔。
蔵。
信号神保原1丁目。T字路を右折します。
信号神保原(北)で国道17号線を横断し、向かい側の斜め左方向に道に入ります。
左側に、石塔石仏群に囲われた薬師堂があります。
右手に金久保八幡神社。
左手にある、金窪城址案内板。
右手にある、三国道入口の標石。新町宿への直路ができるまでは、ここで曲がって、倉賀野宿に向かっていたそうです。
左手に陽雲寺。
右手にある畑時能首塚。新田義貞の家臣です。
左手にある中山道解説板。
右手にある慰霊の碑。
右手に石塔石仏群。
その先に一里塚跡。お堂の脇にあります。
街道が国道に合流する直前にある、趣のある塀。
信号勅使河原(北)で国道17号線に合流します。
神流川(かんながわ)を神流川橋で渡ります。
神流川を渡ると群馬県、上野国です。
神流川古戦場跡碑。
街道はここで国道から右手に分かれます。新町宿に入っていきます。
Y字路の又に復元された見透燈籠。
右手に八坂神社。
右手に諏訪神社。
右手に専福寺。
右手に浄泉寺。
右手に高札場跡。
そして新町宿のチェックポイント、信号新町駅入口です。12:09着。
本庄宿からの区間距離は9.0km。所要1時間51分、歩数11,788歩。平均時速4.9km、平均歩幅76cmでした。