京都・大阪 [旅]
10月26日~26日、京都・大阪に出張でした。
行きは新横浜6時始発のひかり号。新横浜の狭いホームで待つ必要がなく、早く乗り込めるのがメリット。それに空いています。
朝食はコンビニサンドイッチ。
富士山がきれいに見えました。無料のアトラクション、すごく得した気分になります。
京都、大阪で仕事をし、夜の会食の関係で宿泊はまた京都(翌朝また大阪なのですが)。定宿が(高い部屋しか)とれなくて、初めて泊まったのがここ。烏丸札ノ辻西入ルの「ホテルアンテルーム」。外観からしてびっくりの表情ですが、中もまるで現代美術館のよう。おしゃれですが、ちょっと違和感あり。ビジネスより観光向きか。
ここが朝食レストラン。
「ビュッフェ」と名がついていますが、主食はカウンターで注文(3品まで頼める)、自由に取れるのは飲み物とサラダ。これもちょっと・・・おしゃれですが・・・
帰りはまた京都から。夕食に選んだのはこれ。牛タンを抹茶塩で食べる。・・・抹茶塩である必要は認めないが・・・
行きは新横浜6時始発のひかり号。新横浜の狭いホームで待つ必要がなく、早く乗り込めるのがメリット。それに空いています。
朝食はコンビニサンドイッチ。
富士山がきれいに見えました。無料のアトラクション、すごく得した気分になります。
京都、大阪で仕事をし、夜の会食の関係で宿泊はまた京都(翌朝また大阪なのですが)。定宿が(高い部屋しか)とれなくて、初めて泊まったのがここ。烏丸札ノ辻西入ルの「ホテルアンテルーム」。外観からしてびっくりの表情ですが、中もまるで現代美術館のよう。おしゃれですが、ちょっと違和感あり。ビジネスより観光向きか。
ここが朝食レストラン。
「ビュッフェ」と名がついていますが、主食はカウンターで注文(3品まで頼める)、自由に取れるのは飲み物とサラダ。これもちょっと・・・おしゃれですが・・・
帰りはまた京都から。夕食に選んだのはこれ。牛タンを抹茶塩で食べる。・・・抹茶塩である必要は認めないが・・・
みなとみらい [街歩き]
中山道 西松井田~横川 [街道歩き]
14日。当初は雨予報でしたが、昼間は止むということだったので、歩きに行きました。前回西松井田で中断したので、今回は西松井田からJR横川駅まで、短距離です。
平日の疲れがあったので、車ではなく電車にしました。上野東京ラインで高崎まで行き、信越本線に乗り換えて西松井田まで行きました。途中で立ち食いそばを食べられる時間帯ではないので、朝食は横浜で乗る前にコンビニサンドイッチを買い、東京駅で電車が空いてから食べました。
西松井田駅到着。途中の車内から見た感じでは雨は止んでいるようでしたが、西松井田で降りると霧雨が降っていました。この雨は、横川まで、結局完全に止むことはありませんでした。
信号西松井田駅前を出立、8:35。
すぐ、右側に補蛇寺(ふだじ)。松井田城跡の看板もあります。
歩き始めてまもなく、Y字路を左。
右側に道祖神。
道はほどなくJR信越本線にぶつかります。そこに「製糸踏切」という踏切があり、本来の街道はこの踏切を渡って先に続くのですが、通行不可となっているので、ここは渡らずに線路沿いに右に行きます。
先の、第十中仙道踏切を渡ります。
旧道が国道18号線に合流しようとする手前、左側に佐藤建築事務所のあるところを左折します。
T字路を右折。
右側にお地蔵様。
その先で国道18号線を横断し、向こう側に続く道を進むのですが、
横断歩道がないので渡れません(車が切れたときに渡る、という荒業もありますが)。仕方なく、近くの五料交差点を渡り、
旧道に復帰します。
この道を進みます。
上信越道をくぐります。
右側、理容院の脇に庚申塔と二十三夜塔。
「茶屋本陣お西・お東」の案内板が立っています。
そちらの方向を見ると、高札場跡の看板、そして踏切の向こうに茶屋本陣。今日は立ち寄らず(雨が続いているので省略)。
道が国道に合流する直前、榎踏切を渡ります。
踏切を渡った後の旧道。
左側に道祖神。
右側に石塔石仏群。
右側に馬頭観音。
すぐ先にも馬頭観音。
さらに歩いた先にもまた馬頭観音。
道はJR信越本線にぶつかるので、線路沿いに歩きます。
八木さんの地図によると、「御所平踏切」を渡ることになっています。
これです!!
しかし、名称が「御所平(上り)踏切」になっています。上り線を渡ると、下り線に行く手を阻まれてしまいます。どこにも行けません。しかたなく戻り、線路沿いにさらに歩きます。それにしても、この「(上り)踏切」何のためにあるのか不明です。
滅多に来ない信越本線の電車が来たので、思わず撮影。
右側に碓氷神社。
神社の境内に庚申塔と二十三夜塔。
高墓踏切を渡ります。
国道を、本来御所平踏切を渡ったところである、JA碓氷安中臼井支所の分岐点まで戻ります。
御所平踏切のところを見てみると、ガードレールの切れ目がありません。やはり渡るのは無理だったようです。
JA分岐を入ったところの旧道。
右側に石塔石仏群。
街道は国道に合流します。
小山沢川を小山沢橋で渡ります。
信号小山沢で左の旧道に入ります。
右側に百合若大臣の足跡石。百合若大臣という大男が踏み抜いた石です。
国道に合流します。
第十五中仙道踏切を渡ります。
蔵。
有名店「松一食堂」と「おぎのや」が並んでいます。
おぎのやの角が横川駅前です。今日はここまでにします。9:55到着、8,331歩。今日は松井田宿を過ぎた西松井田から歩き始め、坂本宿に達しない横川駅前までなので、時速や歩幅の計算はありません。
横川駅前はちょっとした鉄道博物館です。駅前に、かつて碓氷峠を越える汽車をアシストしたEF63-3機関車の動輪が保存されています。
おぎのや(おぎのやはこちらが本店で、国道沿いにある大きな店は支店です)の前には、かつて碓氷峠を越えるのに使われた「アプト式」(歯車で上る方式)のラックレールが再利用されています。
横川駅のおぎのや売店。
かつてここから碓氷峠を越えて続いていた線路はここで行きどまりになっています。
ホームにあるアプト式の模型。
同じくホームにある、かつて使われていた輸入レール。
これから乗る信越本線(本線だけど1時間に1本)。
昼食は高崎駅の立ち食いそば(だけど座れる)八起家で天玉そば。
湘南新宿ラインで帰ってきました。
次回はいよいよ、最大の難所・碓氷峠です。
平日の疲れがあったので、車ではなく電車にしました。上野東京ラインで高崎まで行き、信越本線に乗り換えて西松井田まで行きました。途中で立ち食いそばを食べられる時間帯ではないので、朝食は横浜で乗る前にコンビニサンドイッチを買い、東京駅で電車が空いてから食べました。
西松井田駅到着。途中の車内から見た感じでは雨は止んでいるようでしたが、西松井田で降りると霧雨が降っていました。この雨は、横川まで、結局完全に止むことはありませんでした。
信号西松井田駅前を出立、8:35。
すぐ、右側に補蛇寺(ふだじ)。松井田城跡の看板もあります。
歩き始めてまもなく、Y字路を左。
右側に道祖神。
道はほどなくJR信越本線にぶつかります。そこに「製糸踏切」という踏切があり、本来の街道はこの踏切を渡って先に続くのですが、通行不可となっているので、ここは渡らずに線路沿いに右に行きます。
先の、第十中仙道踏切を渡ります。
旧道が国道18号線に合流しようとする手前、左側に佐藤建築事務所のあるところを左折します。
T字路を右折。
右側にお地蔵様。
その先で国道18号線を横断し、向こう側に続く道を進むのですが、
横断歩道がないので渡れません(車が切れたときに渡る、という荒業もありますが)。仕方なく、近くの五料交差点を渡り、
旧道に復帰します。
この道を進みます。
上信越道をくぐります。
右側、理容院の脇に庚申塔と二十三夜塔。
「茶屋本陣お西・お東」の案内板が立っています。
そちらの方向を見ると、高札場跡の看板、そして踏切の向こうに茶屋本陣。今日は立ち寄らず(雨が続いているので省略)。
道が国道に合流する直前、榎踏切を渡ります。
踏切を渡った後の旧道。
左側に道祖神。
右側に石塔石仏群。
右側に馬頭観音。
すぐ先にも馬頭観音。
さらに歩いた先にもまた馬頭観音。
道はJR信越本線にぶつかるので、線路沿いに歩きます。
八木さんの地図によると、「御所平踏切」を渡ることになっています。
これです!!
しかし、名称が「御所平(上り)踏切」になっています。上り線を渡ると、下り線に行く手を阻まれてしまいます。どこにも行けません。しかたなく戻り、線路沿いにさらに歩きます。それにしても、この「(上り)踏切」何のためにあるのか不明です。
滅多に来ない信越本線の電車が来たので、思わず撮影。
右側に碓氷神社。
神社の境内に庚申塔と二十三夜塔。
高墓踏切を渡ります。
国道を、本来御所平踏切を渡ったところである、JA碓氷安中臼井支所の分岐点まで戻ります。
御所平踏切のところを見てみると、ガードレールの切れ目がありません。やはり渡るのは無理だったようです。
JA分岐を入ったところの旧道。
右側に石塔石仏群。
街道は国道に合流します。
小山沢川を小山沢橋で渡ります。
信号小山沢で左の旧道に入ります。
右側に百合若大臣の足跡石。百合若大臣という大男が踏み抜いた石です。
国道に合流します。
第十五中仙道踏切を渡ります。
蔵。
有名店「松一食堂」と「おぎのや」が並んでいます。
おぎのやの角が横川駅前です。今日はここまでにします。9:55到着、8,331歩。今日は松井田宿を過ぎた西松井田から歩き始め、坂本宿に達しない横川駅前までなので、時速や歩幅の計算はありません。
横川駅前はちょっとした鉄道博物館です。駅前に、かつて碓氷峠を越える汽車をアシストしたEF63-3機関車の動輪が保存されています。
おぎのや(おぎのやはこちらが本店で、国道沿いにある大きな店は支店です)の前には、かつて碓氷峠を越えるのに使われた「アプト式」(歯車で上る方式)のラックレールが再利用されています。
横川駅のおぎのや売店。
かつてここから碓氷峠を越えて続いていた線路はここで行きどまりになっています。
ホームにあるアプト式の模型。
同じくホームにある、かつて使われていた輸入レール。
これから乗る信越本線(本線だけど1時間に1本)。
昼食は高崎駅の立ち食いそば(だけど座れる)八起家で天玉そば。
湘南新宿ラインで帰ってきました。
次回はいよいよ、最大の難所・碓氷峠です。
中山道 安中~松井田 [街道歩き]
9月15日に腰を痛め、整形外科で「椎間板が弱っている」と診断され、しばらく街道歩きどころか普通に歩くことすらできませんでした。10月8日、三連休の中日、久しぶりに歩きに行きました。
車で出たのですが、高速に乗る前にいつも給油をしているスタンドが閉まっていたため別のスタンドまで行ったことでロスタイムがありました。海老名SAの吉野家で焼魚定食の朝食。
東名→圏央道→関越と走って、JR西松井田駅へ。ここには広大な無料駐車場があります。
西松井田から高崎方面に、1時間に1本の電車で安中まで。
安中駅から、前回中断した「カットハウスWan」の前まではすぐです。
さあ、出立です。8:01、歩き始めます。目印のカットハウスWanを左後方にして、この方向です。
ここで左方向のスロープを上がって、久芳橋に向かいます。
碓氷川を久芳橋で渡ります。
まもなく、下野尻の歩道橋を渡って、国道18号線と別れ、左前方の県道125号線に入ります。
右手に熊野神社。
安中宿に入ると、趣のある家が目立つようになります。
左手、安中郵便局の前に、安中宿本陣跡の碑があります。安中宿到着です。8:22、2,025歩。前回中途半端なところで中断したので、前回分のデータを補正しておきましょう。前回分と合わせ、板鼻~安中間は、区間距離3.3km、所要時間49分、歩数4,717歩。平均時速4.0km、平均歩幅70cmとなりました。前回のまとめは、倉賀野~板鼻で再集計しておきます。総距離13.4km、所要時間3時間7分、歩数18,756。平均時速4.3km、平均歩幅71cm。今日の集計を安中宿起点とします。
須藤本陣跡では、まだ歩き始めたばかりなので、休憩なしにそのまま進みます。すぐの信号、伝馬町から右に入ると、旧碓氷郡役所跡があります。普段の街道歩きですと、先を急いでできるだけ距離をかせぐため、街道から脇に入る名所はカットすることが多いのですが(普通の計画であれば今日は坂本宿まで行くのですが)、今回はリハビリウォーキングなので、あまり無理をせず、松井田まででやめることにします。そこで、ここの名所は見ていくことにしました。伝馬町交差点で右折すると、正面に旧碓氷郡役所跡があります。明治11年の設置です。
この寄り道で4分、272歩のロスをカウントし、街道に復帰します。
右手の群馬銀行安中支店の脇に高札場跡の案内板。
安中宿は見映えのする建物が多く、なかなか歩みが進みません。
左手に赤煉瓦の建物がありました。
反対側に回ってみると、ギャラリーになっているようです。
旧安中藩武家長屋入口の交差点があります。ここも行ってみることにしましょう。右折です。
右手に旧安中藩郡奉行役宅。
左手に武家長屋。上級藩士以外の藩士は長屋住まいだったそうです。
街道に戻ります。この寄り道で10分、713歩のロスです。
左手に安楽寺。
右手に蔵造りの商家・サカウエ薬局があります。
右手に、天保三年(1832年)創業の味噌醤油醸造の老舗・有田屋があります。新島襄の後援者でした。
有田屋の向かいに便覧舎址。明治五年に有田屋当主・湯浅治郎が私財を投じて創設した日本初の私立図書館だということです。
右手にある蔵は狭山茶の田島園。
安中宿の魅力的な建物はまだ続きます。歩みがなかなか進みません。
左手に安中大木戸の碑。安中宿はここまでです。
右手に常夜燈。
この大島酒店もいい感じです。
新島襄旧宅入口。
安中原市杉並木の碑があるのですが、車道側にまわらないと読めなくなっています。これはどうかと思うのですが。
信号安中総合学園高校で国道18号線を横断するのですが、左側を歩いていると横断歩道がありません。歩行者に不親切です。
左側に道祖神。
ここにあるのが、さきほどの碑にあった、原市の杉並木です。かつては日光と並び称される杉並木だったそうですが、今では十数本を残すのみです。
左手に稲荷神社。
杉の切株が残されています。
杉並木の西端にも碑。やはり車道側からしか読めません。
このあたり、安中原市ですが、ここにも魅力的な家並が残っています。
原市村戸長役所跡。明治四年(1871年)、太政官布告により、それまでの町村役人を廃し、戸長と改称したとのことです。
左手に原市高札場跡の案内板と明治天皇原市御休止跡碑があります。ここが五十貝茶屋本陣跡です。
左側に石祠。
左側に原市町道路元標。
これはいったい何だろう。
街道風景。
県道126号線に合流します。
左側に八本木旧立場茶屋跡。
向かい側に八本木地蔵堂。
左側に、銘酒鮎正宗の吉川屋酒店。
向かい側に道祖神。
日本の秋の風景。
右側に日枝神社。
並びに自性寺。
右側に道祖神。
左側に石祠。
街道は国道18号線に突き当たるのですが・・・
その直前に右に入る道があります。
街道はこの坂を下ります。
突き当たったら左に折れます。
刈り取った稲が干してあります。
このY字路は左です。
大坂地下道で国道18号線をくぐります。
地下道を出たら右折です。
Y字分岐がありますが右、直進方向です。
石塔石仏群。
Y字路を右。
妙義山が見えます。
県道33号線に合流します。
合流点にある目印・レストランSUMMY。
信号下町を過ぎると、松井田宿に入ります。まず目立つのが、「かんべや」。
左手に崇徳寺。
信号仲町。松井田宿のチェックポイントです。11:03着。
安中-松井田間の区間距離は9.8km、ロスタイムを除く所要時間は2時間27分、歩数は14,337歩。平均時速は4km、平均歩幅は68cmでした。
今日は西松井田駅まで歩きますが、ここで板鼻~安中の集計をしておきます。総距離13.1km、所要時間3時間16分、歩数19,054歩。平均時速4.0km、平均歩幅69cmでした。
さあ、車の停めてある西松井田駅まで行きましょう。11:05再出発。左手に辻中薬局。
松井田宿もいい感じの建物がありますね。
無料休憩所。
こんな建物も。
左側に松井田商工会。昭和十四年(1939年)築の旧松井田警察署です。
左側にある旧家、新堀金井家。ここに「中山道分間延絵図」が収蔵され、公開されているようです。
信号西松井田駅前に到着です。写真を撮り忘れてしまいました。11:28着。松井田宿からの所要時間23分、歩数1,077歩でした。この数字は次回集計時に使います。
西松井田駅。
さあ、昼食にしましょう。昼食は、横川駅まで行って(JRは1時間に1本ですが、こういうとき車はいいですね)、おぎのやの釜めし。
店内は混んでいたので、購入の上、帰路の甘楽PAで食べました。
車で出たのですが、高速に乗る前にいつも給油をしているスタンドが閉まっていたため別のスタンドまで行ったことでロスタイムがありました。海老名SAの吉野家で焼魚定食の朝食。
東名→圏央道→関越と走って、JR西松井田駅へ。ここには広大な無料駐車場があります。
西松井田から高崎方面に、1時間に1本の電車で安中まで。
安中駅から、前回中断した「カットハウスWan」の前まではすぐです。
さあ、出立です。8:01、歩き始めます。目印のカットハウスWanを左後方にして、この方向です。
ここで左方向のスロープを上がって、久芳橋に向かいます。
碓氷川を久芳橋で渡ります。
まもなく、下野尻の歩道橋を渡って、国道18号線と別れ、左前方の県道125号線に入ります。
右手に熊野神社。
安中宿に入ると、趣のある家が目立つようになります。
左手、安中郵便局の前に、安中宿本陣跡の碑があります。安中宿到着です。8:22、2,025歩。前回中途半端なところで中断したので、前回分のデータを補正しておきましょう。前回分と合わせ、板鼻~安中間は、区間距離3.3km、所要時間49分、歩数4,717歩。平均時速4.0km、平均歩幅70cmとなりました。前回のまとめは、倉賀野~板鼻で再集計しておきます。総距離13.4km、所要時間3時間7分、歩数18,756。平均時速4.3km、平均歩幅71cm。今日の集計を安中宿起点とします。
須藤本陣跡では、まだ歩き始めたばかりなので、休憩なしにそのまま進みます。すぐの信号、伝馬町から右に入ると、旧碓氷郡役所跡があります。普段の街道歩きですと、先を急いでできるだけ距離をかせぐため、街道から脇に入る名所はカットすることが多いのですが(普通の計画であれば今日は坂本宿まで行くのですが)、今回はリハビリウォーキングなので、あまり無理をせず、松井田まででやめることにします。そこで、ここの名所は見ていくことにしました。伝馬町交差点で右折すると、正面に旧碓氷郡役所跡があります。明治11年の設置です。
この寄り道で4分、272歩のロスをカウントし、街道に復帰します。
右手の群馬銀行安中支店の脇に高札場跡の案内板。
安中宿は見映えのする建物が多く、なかなか歩みが進みません。
左手に赤煉瓦の建物がありました。
反対側に回ってみると、ギャラリーになっているようです。
旧安中藩武家長屋入口の交差点があります。ここも行ってみることにしましょう。右折です。
右手に旧安中藩郡奉行役宅。
左手に武家長屋。上級藩士以外の藩士は長屋住まいだったそうです。
街道に戻ります。この寄り道で10分、713歩のロスです。
左手に安楽寺。
右手に蔵造りの商家・サカウエ薬局があります。
右手に、天保三年(1832年)創業の味噌醤油醸造の老舗・有田屋があります。新島襄の後援者でした。
有田屋の向かいに便覧舎址。明治五年に有田屋当主・湯浅治郎が私財を投じて創設した日本初の私立図書館だということです。
右手にある蔵は狭山茶の田島園。
安中宿の魅力的な建物はまだ続きます。歩みがなかなか進みません。
左手に安中大木戸の碑。安中宿はここまでです。
右手に常夜燈。
この大島酒店もいい感じです。
新島襄旧宅入口。
安中原市杉並木の碑があるのですが、車道側にまわらないと読めなくなっています。これはどうかと思うのですが。
信号安中総合学園高校で国道18号線を横断するのですが、左側を歩いていると横断歩道がありません。歩行者に不親切です。
左側に道祖神。
ここにあるのが、さきほどの碑にあった、原市の杉並木です。かつては日光と並び称される杉並木だったそうですが、今では十数本を残すのみです。
左手に稲荷神社。
杉の切株が残されています。
杉並木の西端にも碑。やはり車道側からしか読めません。
このあたり、安中原市ですが、ここにも魅力的な家並が残っています。
原市村戸長役所跡。明治四年(1871年)、太政官布告により、それまでの町村役人を廃し、戸長と改称したとのことです。
左手に原市高札場跡の案内板と明治天皇原市御休止跡碑があります。ここが五十貝茶屋本陣跡です。
左側に石祠。
左側に原市町道路元標。
これはいったい何だろう。
街道風景。
県道126号線に合流します。
左側に八本木旧立場茶屋跡。
向かい側に八本木地蔵堂。
左側に、銘酒鮎正宗の吉川屋酒店。
向かい側に道祖神。
日本の秋の風景。
右側に日枝神社。
並びに自性寺。
右側に道祖神。
左側に石祠。
街道は国道18号線に突き当たるのですが・・・
その直前に右に入る道があります。
街道はこの坂を下ります。
突き当たったら左に折れます。
刈り取った稲が干してあります。
このY字路は左です。
大坂地下道で国道18号線をくぐります。
地下道を出たら右折です。
Y字分岐がありますが右、直進方向です。
石塔石仏群。
Y字路を右。
妙義山が見えます。
県道33号線に合流します。
合流点にある目印・レストランSUMMY。
信号下町を過ぎると、松井田宿に入ります。まず目立つのが、「かんべや」。
左手に崇徳寺。
信号仲町。松井田宿のチェックポイントです。11:03着。
安中-松井田間の区間距離は9.8km、ロスタイムを除く所要時間は2時間27分、歩数は14,337歩。平均時速は4km、平均歩幅は68cmでした。
今日は西松井田駅まで歩きますが、ここで板鼻~安中の集計をしておきます。総距離13.1km、所要時間3時間16分、歩数19,054歩。平均時速4.0km、平均歩幅69cmでした。
さあ、車の停めてある西松井田駅まで行きましょう。11:05再出発。左手に辻中薬局。
松井田宿もいい感じの建物がありますね。
無料休憩所。
こんな建物も。
左側に松井田商工会。昭和十四年(1939年)築の旧松井田警察署です。
左側にある旧家、新堀金井家。ここに「中山道分間延絵図」が収蔵され、公開されているようです。
信号西松井田駅前に到着です。写真を撮り忘れてしまいました。11:28着。松井田宿からの所要時間23分、歩数1,077歩でした。この数字は次回集計時に使います。
西松井田駅。
さあ、昼食にしましょう。昼食は、横川駅まで行って(JRは1時間に1本ですが、こういうとき車はいいですね)、おぎのやの釜めし。
店内は混んでいたので、購入の上、帰路の甘楽PAで食べました。
イタリア語検定自己採点 [外国語]
イタリア語検定協会のHPに、一昨日のイタリア語検定の正答がアップされたので、早速自己採点。5級は、リスニング全問正解、筆記試験が1問間違いで、合格。4級は、リスニングが92%、筆記が86%の正答率で、各問の配点がわかりませんが、合格でしょう。リスニングのほうができがいいというのは驚きです。
イタリア語検定4,5級受験 [外国語]
イタリア語検定を受けてきました。最低クラスの5級とその上の4級のダブル受験です。日曜日のダブル受験はきついのですが、語学検定はたいてい日曜日ですよね。会場が慶応日吉キャンパスで、家から近いのが救いです。
イタリア語検定の受験票には、会場の地図に加え、使われる教室名まで明記してあり、「しっかりしてるじゃん(イタリアなのに)」なんて思ってしまったのでした。1年前に受けたスペイン語検定がいい加減だったのでなおのことです。
日吉駅到着。
慶応。銀杏並木。
しっかりとイタリア語検定の看板。
案内表示もしっかりしています。ここでスペイン語検定を受けたときは何もなかった・・・
慶応といえば福沢諭吉先生。
試験会場。
午前が5級、午後が4級です。同じ教室です。イタリア語検定は、最初にリスニングがあって、その後筆記です。そして、途中退室ができません。リスニングは容赦ないスピードで難関なのですが、筆記はそんなに時間がかかりません。途中退室ができないのはちょっと苦痛です。5級はまあまあ、合格ラインには達したかな、という感じ。
5級試験終了後、日吉駅の反対側のマックでランチ。月見バーガー。
午後からの4級はかなり骨がありました。合格ラインは微妙な感じ。模範解答は10月3日にHPに出るらしいので、その時自己採点ができます。・・・問題用紙が持ち帰れましたから。これ、当たり前に思えますが、スペイン語検定は持ち帰れませんでしたので。
イタリア語検定の受験票には、会場の地図に加え、使われる教室名まで明記してあり、「しっかりしてるじゃん(イタリアなのに)」なんて思ってしまったのでした。1年前に受けたスペイン語検定がいい加減だったのでなおのことです。
日吉駅到着。
慶応。銀杏並木。
しっかりとイタリア語検定の看板。
案内表示もしっかりしています。ここでスペイン語検定を受けたときは何もなかった・・・
慶応といえば福沢諭吉先生。
試験会場。
午前が5級、午後が4級です。同じ教室です。イタリア語検定は、最初にリスニングがあって、その後筆記です。そして、途中退室ができません。リスニングは容赦ないスピードで難関なのですが、筆記はそんなに時間がかかりません。途中退室ができないのはちょっと苦痛です。5級はまあまあ、合格ラインには達したかな、という感じ。
5級試験終了後、日吉駅の反対側のマックでランチ。月見バーガー。
午後からの4級はかなり骨がありました。合格ラインは微妙な感じ。模範解答は10月3日にHPに出るらしいので、その時自己採点ができます。・・・問題用紙が持ち帰れましたから。これ、当たり前に思えますが、スペイン語検定は持ち帰れませんでしたので。