中山道 安中~松井田 [街道歩き]
9月15日に腰を痛め、整形外科で「椎間板が弱っている」と診断され、しばらく街道歩きどころか普通に歩くことすらできませんでした。10月8日、三連休の中日、久しぶりに歩きに行きました。
車で出たのですが、高速に乗る前にいつも給油をしているスタンドが閉まっていたため別のスタンドまで行ったことでロスタイムがありました。海老名SAの吉野家で焼魚定食の朝食。
東名→圏央道→関越と走って、JR西松井田駅へ。ここには広大な無料駐車場があります。
西松井田から高崎方面に、1時間に1本の電車で安中まで。
安中駅から、前回中断した「カットハウスWan」の前まではすぐです。
さあ、出立です。8:01、歩き始めます。目印のカットハウスWanを左後方にして、この方向です。
ここで左方向のスロープを上がって、久芳橋に向かいます。
碓氷川を久芳橋で渡ります。
まもなく、下野尻の歩道橋を渡って、国道18号線と別れ、左前方の県道125号線に入ります。
右手に熊野神社。
安中宿に入ると、趣のある家が目立つようになります。
左手、安中郵便局の前に、安中宿本陣跡の碑があります。安中宿到着です。8:22、2,025歩。前回中途半端なところで中断したので、前回分のデータを補正しておきましょう。前回分と合わせ、板鼻~安中間は、区間距離3.3km、所要時間49分、歩数4,717歩。平均時速4.0km、平均歩幅70cmとなりました。前回のまとめは、倉賀野~板鼻で再集計しておきます。総距離13.4km、所要時間3時間7分、歩数18,756。平均時速4.3km、平均歩幅71cm。今日の集計を安中宿起点とします。
須藤本陣跡では、まだ歩き始めたばかりなので、休憩なしにそのまま進みます。すぐの信号、伝馬町から右に入ると、旧碓氷郡役所跡があります。普段の街道歩きですと、先を急いでできるだけ距離をかせぐため、街道から脇に入る名所はカットすることが多いのですが(普通の計画であれば今日は坂本宿まで行くのですが)、今回はリハビリウォーキングなので、あまり無理をせず、松井田まででやめることにします。そこで、ここの名所は見ていくことにしました。伝馬町交差点で右折すると、正面に旧碓氷郡役所跡があります。明治11年の設置です。
この寄り道で4分、272歩のロスをカウントし、街道に復帰します。
右手の群馬銀行安中支店の脇に高札場跡の案内板。
安中宿は見映えのする建物が多く、なかなか歩みが進みません。
左手に赤煉瓦の建物がありました。
反対側に回ってみると、ギャラリーになっているようです。
旧安中藩武家長屋入口の交差点があります。ここも行ってみることにしましょう。右折です。
右手に旧安中藩郡奉行役宅。
左手に武家長屋。上級藩士以外の藩士は長屋住まいだったそうです。
街道に戻ります。この寄り道で10分、713歩のロスです。
左手に安楽寺。
右手に蔵造りの商家・サカウエ薬局があります。
右手に、天保三年(1832年)創業の味噌醤油醸造の老舗・有田屋があります。新島襄の後援者でした。
有田屋の向かいに便覧舎址。明治五年に有田屋当主・湯浅治郎が私財を投じて創設した日本初の私立図書館だということです。
右手にある蔵は狭山茶の田島園。
安中宿の魅力的な建物はまだ続きます。歩みがなかなか進みません。
左手に安中大木戸の碑。安中宿はここまでです。
右手に常夜燈。
この大島酒店もいい感じです。
新島襄旧宅入口。
安中原市杉並木の碑があるのですが、車道側にまわらないと読めなくなっています。これはどうかと思うのですが。
信号安中総合学園高校で国道18号線を横断するのですが、左側を歩いていると横断歩道がありません。歩行者に不親切です。
左側に道祖神。
ここにあるのが、さきほどの碑にあった、原市の杉並木です。かつては日光と並び称される杉並木だったそうですが、今では十数本を残すのみです。
左手に稲荷神社。
杉の切株が残されています。
杉並木の西端にも碑。やはり車道側からしか読めません。
このあたり、安中原市ですが、ここにも魅力的な家並が残っています。
原市村戸長役所跡。明治四年(1871年)、太政官布告により、それまでの町村役人を廃し、戸長と改称したとのことです。
左手に原市高札場跡の案内板と明治天皇原市御休止跡碑があります。ここが五十貝茶屋本陣跡です。
左側に石祠。
左側に原市町道路元標。
これはいったい何だろう。
街道風景。
県道126号線に合流します。
左側に八本木旧立場茶屋跡。
向かい側に八本木地蔵堂。
左側に、銘酒鮎正宗の吉川屋酒店。
向かい側に道祖神。
日本の秋の風景。
右側に日枝神社。
並びに自性寺。
右側に道祖神。
左側に石祠。
街道は国道18号線に突き当たるのですが・・・
その直前に右に入る道があります。
街道はこの坂を下ります。
突き当たったら左に折れます。
刈り取った稲が干してあります。
このY字路は左です。
大坂地下道で国道18号線をくぐります。
地下道を出たら右折です。
Y字分岐がありますが右、直進方向です。
石塔石仏群。
Y字路を右。
妙義山が見えます。
県道33号線に合流します。
合流点にある目印・レストランSUMMY。
信号下町を過ぎると、松井田宿に入ります。まず目立つのが、「かんべや」。
左手に崇徳寺。
信号仲町。松井田宿のチェックポイントです。11:03着。
安中-松井田間の区間距離は9.8km、ロスタイムを除く所要時間は2時間27分、歩数は14,337歩。平均時速は4km、平均歩幅は68cmでした。
今日は西松井田駅まで歩きますが、ここで板鼻~安中の集計をしておきます。総距離13.1km、所要時間3時間16分、歩数19,054歩。平均時速4.0km、平均歩幅69cmでした。
さあ、車の停めてある西松井田駅まで行きましょう。11:05再出発。左手に辻中薬局。
松井田宿もいい感じの建物がありますね。
無料休憩所。
こんな建物も。
左側に松井田商工会。昭和十四年(1939年)築の旧松井田警察署です。
左側にある旧家、新堀金井家。ここに「中山道分間延絵図」が収蔵され、公開されているようです。
信号西松井田駅前に到着です。写真を撮り忘れてしまいました。11:28着。松井田宿からの所要時間23分、歩数1,077歩でした。この数字は次回集計時に使います。
西松井田駅。
さあ、昼食にしましょう。昼食は、横川駅まで行って(JRは1時間に1本ですが、こういうとき車はいいですね)、おぎのやの釜めし。
店内は混んでいたので、購入の上、帰路の甘楽PAで食べました。
車で出たのですが、高速に乗る前にいつも給油をしているスタンドが閉まっていたため別のスタンドまで行ったことでロスタイムがありました。海老名SAの吉野家で焼魚定食の朝食。
東名→圏央道→関越と走って、JR西松井田駅へ。ここには広大な無料駐車場があります。
西松井田から高崎方面に、1時間に1本の電車で安中まで。
安中駅から、前回中断した「カットハウスWan」の前まではすぐです。
さあ、出立です。8:01、歩き始めます。目印のカットハウスWanを左後方にして、この方向です。
ここで左方向のスロープを上がって、久芳橋に向かいます。
碓氷川を久芳橋で渡ります。
まもなく、下野尻の歩道橋を渡って、国道18号線と別れ、左前方の県道125号線に入ります。
右手に熊野神社。
安中宿に入ると、趣のある家が目立つようになります。
左手、安中郵便局の前に、安中宿本陣跡の碑があります。安中宿到着です。8:22、2,025歩。前回中途半端なところで中断したので、前回分のデータを補正しておきましょう。前回分と合わせ、板鼻~安中間は、区間距離3.3km、所要時間49分、歩数4,717歩。平均時速4.0km、平均歩幅70cmとなりました。前回のまとめは、倉賀野~板鼻で再集計しておきます。総距離13.4km、所要時間3時間7分、歩数18,756。平均時速4.3km、平均歩幅71cm。今日の集計を安中宿起点とします。
須藤本陣跡では、まだ歩き始めたばかりなので、休憩なしにそのまま進みます。すぐの信号、伝馬町から右に入ると、旧碓氷郡役所跡があります。普段の街道歩きですと、先を急いでできるだけ距離をかせぐため、街道から脇に入る名所はカットすることが多いのですが(普通の計画であれば今日は坂本宿まで行くのですが)、今回はリハビリウォーキングなので、あまり無理をせず、松井田まででやめることにします。そこで、ここの名所は見ていくことにしました。伝馬町交差点で右折すると、正面に旧碓氷郡役所跡があります。明治11年の設置です。
この寄り道で4分、272歩のロスをカウントし、街道に復帰します。
右手の群馬銀行安中支店の脇に高札場跡の案内板。
安中宿は見映えのする建物が多く、なかなか歩みが進みません。
左手に赤煉瓦の建物がありました。
反対側に回ってみると、ギャラリーになっているようです。
旧安中藩武家長屋入口の交差点があります。ここも行ってみることにしましょう。右折です。
右手に旧安中藩郡奉行役宅。
左手に武家長屋。上級藩士以外の藩士は長屋住まいだったそうです。
街道に戻ります。この寄り道で10分、713歩のロスです。
左手に安楽寺。
右手に蔵造りの商家・サカウエ薬局があります。
右手に、天保三年(1832年)創業の味噌醤油醸造の老舗・有田屋があります。新島襄の後援者でした。
有田屋の向かいに便覧舎址。明治五年に有田屋当主・湯浅治郎が私財を投じて創設した日本初の私立図書館だということです。
右手にある蔵は狭山茶の田島園。
安中宿の魅力的な建物はまだ続きます。歩みがなかなか進みません。
左手に安中大木戸の碑。安中宿はここまでです。
右手に常夜燈。
この大島酒店もいい感じです。
新島襄旧宅入口。
安中原市杉並木の碑があるのですが、車道側にまわらないと読めなくなっています。これはどうかと思うのですが。
信号安中総合学園高校で国道18号線を横断するのですが、左側を歩いていると横断歩道がありません。歩行者に不親切です。
左側に道祖神。
ここにあるのが、さきほどの碑にあった、原市の杉並木です。かつては日光と並び称される杉並木だったそうですが、今では十数本を残すのみです。
左手に稲荷神社。
杉の切株が残されています。
杉並木の西端にも碑。やはり車道側からしか読めません。
このあたり、安中原市ですが、ここにも魅力的な家並が残っています。
原市村戸長役所跡。明治四年(1871年)、太政官布告により、それまでの町村役人を廃し、戸長と改称したとのことです。
左手に原市高札場跡の案内板と明治天皇原市御休止跡碑があります。ここが五十貝茶屋本陣跡です。
左側に石祠。
左側に原市町道路元標。
これはいったい何だろう。
街道風景。
県道126号線に合流します。
左側に八本木旧立場茶屋跡。
向かい側に八本木地蔵堂。
左側に、銘酒鮎正宗の吉川屋酒店。
向かい側に道祖神。
日本の秋の風景。
右側に日枝神社。
並びに自性寺。
右側に道祖神。
左側に石祠。
街道は国道18号線に突き当たるのですが・・・
その直前に右に入る道があります。
街道はこの坂を下ります。
突き当たったら左に折れます。
刈り取った稲が干してあります。
このY字路は左です。
大坂地下道で国道18号線をくぐります。
地下道を出たら右折です。
Y字分岐がありますが右、直進方向です。
石塔石仏群。
Y字路を右。
妙義山が見えます。
県道33号線に合流します。
合流点にある目印・レストランSUMMY。
信号下町を過ぎると、松井田宿に入ります。まず目立つのが、「かんべや」。
左手に崇徳寺。
信号仲町。松井田宿のチェックポイントです。11:03着。
安中-松井田間の区間距離は9.8km、ロスタイムを除く所要時間は2時間27分、歩数は14,337歩。平均時速は4km、平均歩幅は68cmでした。
今日は西松井田駅まで歩きますが、ここで板鼻~安中の集計をしておきます。総距離13.1km、所要時間3時間16分、歩数19,054歩。平均時速4.0km、平均歩幅69cmでした。
さあ、車の停めてある西松井田駅まで行きましょう。11:05再出発。左手に辻中薬局。
松井田宿もいい感じの建物がありますね。
無料休憩所。
こんな建物も。
左側に松井田商工会。昭和十四年(1939年)築の旧松井田警察署です。
左側にある旧家、新堀金井家。ここに「中山道分間延絵図」が収蔵され、公開されているようです。
信号西松井田駅前に到着です。写真を撮り忘れてしまいました。11:28着。松井田宿からの所要時間23分、歩数1,077歩でした。この数字は次回集計時に使います。
西松井田駅。
さあ、昼食にしましょう。昼食は、横川駅まで行って(JRは1時間に1本ですが、こういうとき車はいいですね)、おぎのやの釜めし。
店内は混んでいたので、購入の上、帰路の甘楽PAで食べました。