東海道 興津~江尻 [街道歩き]
さて、先に進みましょう。興津宿の本体はこれからです。右側に理源寺。
右側に興津宿公園。
右側に興津宿東本陣址。
右側に興津宿案内板。
右側に清見寺。お寺本体はJRの線路の向こう側です。
右側に高山樗牛假寓之処。
左側に西園寺公望の別荘跡「坐漁荘」です。
静清バイパスをくぐるところで波多打川を渡り、すぐ左の細い道に入ります。
すぐに、右折します。
JRの横砂踏切を渡ります。
国道にぶつかりますので左折します。ぶつかった向かい側に延命地蔵尊があります。
右側に東光寺。
庵原川を庵原川橋で渡ります。
右側に津嶋神社。
信号辻町で旧道が右に分かれます。分岐の又に、細井野松と無縁さんの碑があります。
趣のある家。
信号江尻東。ここが江尻宿のチェックポイントです。左にJR清水駅が見えます。
到着は11:37。区間距離5.0km、所要時間58分、歩数6,938歩。平均時速5.2km、平均歩幅72cmでした。
今日は、やはり疲れが残っていること、それに空気が冷たくなり、にわか雨が降るかもしれないことで、ここまでにします。総距離18.6km、所要時間4時間7分、歩数27,062歩、平均時速4.5km、平均歩幅69cmでした。
この日のランチは清水駅近くのマックでした。
右側に興津宿公園。
右側に興津宿東本陣址。
右側に興津宿案内板。
右側に清見寺。お寺本体はJRの線路の向こう側です。
右側に高山樗牛假寓之処。
左側に西園寺公望の別荘跡「坐漁荘」です。
静清バイパスをくぐるところで波多打川を渡り、すぐ左の細い道に入ります。
すぐに、右折します。
JRの横砂踏切を渡ります。
国道にぶつかりますので左折します。ぶつかった向かい側に延命地蔵尊があります。
右側に東光寺。
庵原川を庵原川橋で渡ります。
右側に津嶋神社。
信号辻町で旧道が右に分かれます。分岐の又に、細井野松と無縁さんの碑があります。
趣のある家。
信号江尻東。ここが江尻宿のチェックポイントです。左にJR清水駅が見えます。
到着は11:37。区間距離5.0km、所要時間58分、歩数6,938歩。平均時速5.2km、平均歩幅72cmでした。
今日は、やはり疲れが残っていること、それに空気が冷たくなり、にわか雨が降るかもしれないことで、ここまでにします。総距離18.6km、所要時間4時間7分、歩数27,062歩、平均時速4.5km、平均歩幅69cmでした。
この日のランチは清水駅近くのマックでした。
タグ:街道歩き
東海道 由比~興津 [街道歩き]
さて、先に進みましょう。由比駅に向かう道の反対側に、旧道の分岐があります。道標があり、安心です。
この道を歩きます。
寺尾澤橋を渡ります。
右側に宗像神社。
中の沢二号橋を渡ります。これからいくつもの橋を渡りながら薩埵峠に向かっていきます。
右側に讃徳寺。
右側に名主の館・小池邸。
左側にあかりの博物館。個人で収集したものを展示しているそうです。
大澤橋を渡ります。
右側に題目碑。
左手には海が広がります。眼下に東名高速道路の由比PAが見えます。由比PAは、海に水を飲みに来るアオバトの撮影ポイントになっていますが、今日は撮影者は見当たりません。
左側に、桜えびづくしが味わえる「くらさわや」があります。
右側に八阪神社。
その隣に中峯神社の入口。
権現橋を渡ります。
右側に鞍佐里神社。
右側に宝積寺。
このあたりは間の宿「倉沢」といいます。薩埵峠上りは今回が2度目なのですが、前にも感じたように、このあたりの街並はネパールのトレッキングを思い出させます。
左側に川島家茶屋本陣跡。
左側に脇本陣柏屋跡。
右側に薩埵峠の登り口が現れます。いよいよ本格的な峠道です。
登り口の右側に一里塚跡。
海の向こうに伊豆半島がうっすらと見えます。
峠道は果樹園になっています。これは琵琶。
こちらはみかん。
薩埵トンネルの入口が見えます。
これは、みかん出荷用のモノレール。
右側に薩埵山合戦の説明板。
薩埵峠の駐車場が現れます。薩埵峠は、まだ箱根の記憶が新しいところに現れますので、「拍子抜け」です。まあ、今回は2度目なので「拍子」もなにもありませんが。
駐車場からの景色。絶景ですが、よく見る薩埵峠の景色とは少し違います。よく見る景色は、もう少し先から見ることができます。・・・でも、残念ながら富士山は雲の中ですね。
駐車場にある幸田文の文学碑。
その横にある山之神遺跡。
伊豆半島がうっすらと見えます。
街道は、駐車場を通り抜けて続いています。左側に文学碑と山之神、右側にトイレ(ありがたいですね)がある間を抜けていきます。
脇に「杖入れ」があります。
少し歩くと展望台があります。
この展望台からの風景が、よくみる薩埵峠の風景です。ただし今日は富士山がありません。
薩埵峠の碑。道を歩いていると、薩埵峠の碑は複数ありました。
お休み処があります。
牛房坂の碑。
こんな道です。
清水市指定眺望地点の案内。
そこからの風景。
薩埵峠と薩埵山合戦の案内板。
Y字路を左に進みます。じつはここで事件。道を確認するため、ズボンのポケットに入っている地図を取り出したとき、同じポケットに入っていた小銭入れがボロンと落ち、そのままコロコロと転がって、左の茂みに落ちてしまったのです。上から見た限りでは見つからないし、降りようとしてみましたが予想以上に崖状で、あきらめました。
下りていくと、道標があり、墓地が見えます。薩埵峠下りの終わりです。
そこに休憩所があります。
あとは舗装道路ですが、ゆるゆると下っていきます。「往還坂」です。
「殿ノ入」の案内板。
左前方に白髭神社の看板があるところで右折します。道標も整備されています。ここから先は、道標の「興津駅」に従って進みます。右手には「舞台」の案内板があります。
左側に常夜燈。
道標に従い左折します。
ここからは少しくねくねと歩きますが、基本的には道なりです。ここは道なりに右折。
道なり。
ここはT字路を左折。道標がしっかりしています。
いい雰囲気の道が続きます。
道標。
左側に瑞泉寺。
民家の入口にあったもの。「薩埵峠」と書いてあります。
ここを左折します。道標もあります。
左側に土地改良之碑。
右側に川越遺跡。その向こうには興津川があり、往時は徒歩渡りでした。
JRのガードをくぐります。
ここで右折します。
興津川を浦安橋で渡ります。
すぐ、右の階段を下ります。
坂を上って、もとの車道に合流しかけるところで右折。
突き当りを左折。
道は左にカーブを切った後、国道にぶつかるので右折します。
右側に宗像神社。
右側に題目碑。
右側に一里塚跡。
信号興津駅前。ここが興津宿のチェックポイントです。
到着は10:39。区間距離7.3km、所要時間1時間43分、歩数10,658歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
この道を歩きます。
寺尾澤橋を渡ります。
右側に宗像神社。
中の沢二号橋を渡ります。これからいくつもの橋を渡りながら薩埵峠に向かっていきます。
右側に讃徳寺。
右側に名主の館・小池邸。
左側にあかりの博物館。個人で収集したものを展示しているそうです。
大澤橋を渡ります。
右側に題目碑。
左手には海が広がります。眼下に東名高速道路の由比PAが見えます。由比PAは、海に水を飲みに来るアオバトの撮影ポイントになっていますが、今日は撮影者は見当たりません。
左側に、桜えびづくしが味わえる「くらさわや」があります。
右側に八阪神社。
その隣に中峯神社の入口。
権現橋を渡ります。
右側に鞍佐里神社。
右側に宝積寺。
このあたりは間の宿「倉沢」といいます。薩埵峠上りは今回が2度目なのですが、前にも感じたように、このあたりの街並はネパールのトレッキングを思い出させます。
左側に川島家茶屋本陣跡。
左側に脇本陣柏屋跡。
右側に薩埵峠の登り口が現れます。いよいよ本格的な峠道です。
登り口の右側に一里塚跡。
海の向こうに伊豆半島がうっすらと見えます。
峠道は果樹園になっています。これは琵琶。
こちらはみかん。
薩埵トンネルの入口が見えます。
これは、みかん出荷用のモノレール。
右側に薩埵山合戦の説明板。
薩埵峠の駐車場が現れます。薩埵峠は、まだ箱根の記憶が新しいところに現れますので、「拍子抜け」です。まあ、今回は2度目なので「拍子」もなにもありませんが。
駐車場からの景色。絶景ですが、よく見る薩埵峠の景色とは少し違います。よく見る景色は、もう少し先から見ることができます。・・・でも、残念ながら富士山は雲の中ですね。
駐車場にある幸田文の文学碑。
その横にある山之神遺跡。
伊豆半島がうっすらと見えます。
街道は、駐車場を通り抜けて続いています。左側に文学碑と山之神、右側にトイレ(ありがたいですね)がある間を抜けていきます。
脇に「杖入れ」があります。
少し歩くと展望台があります。
この展望台からの風景が、よくみる薩埵峠の風景です。ただし今日は富士山がありません。
薩埵峠の碑。道を歩いていると、薩埵峠の碑は複数ありました。
お休み処があります。
牛房坂の碑。
こんな道です。
清水市指定眺望地点の案内。
そこからの風景。
薩埵峠と薩埵山合戦の案内板。
Y字路を左に進みます。じつはここで事件。道を確認するため、ズボンのポケットに入っている地図を取り出したとき、同じポケットに入っていた小銭入れがボロンと落ち、そのままコロコロと転がって、左の茂みに落ちてしまったのです。上から見た限りでは見つからないし、降りようとしてみましたが予想以上に崖状で、あきらめました。
下りていくと、道標があり、墓地が見えます。薩埵峠下りの終わりです。
そこに休憩所があります。
あとは舗装道路ですが、ゆるゆると下っていきます。「往還坂」です。
「殿ノ入」の案内板。
左前方に白髭神社の看板があるところで右折します。道標も整備されています。ここから先は、道標の「興津駅」に従って進みます。右手には「舞台」の案内板があります。
左側に常夜燈。
道標に従い左折します。
ここからは少しくねくねと歩きますが、基本的には道なりです。ここは道なりに右折。
道なり。
ここはT字路を左折。道標がしっかりしています。
いい雰囲気の道が続きます。
道標。
左側に瑞泉寺。
民家の入口にあったもの。「薩埵峠」と書いてあります。
ここを左折します。道標もあります。
左側に土地改良之碑。
右側に川越遺跡。その向こうには興津川があり、往時は徒歩渡りでした。
JRのガードをくぐります。
ここで右折します。
興津川を浦安橋で渡ります。
すぐ、右の階段を下ります。
坂を上って、もとの車道に合流しかけるところで右折。
突き当りを左折。
道は左にカーブを切った後、国道にぶつかるので右折します。
右側に宗像神社。
右側に題目碑。
右側に一里塚跡。
信号興津駅前。ここが興津宿のチェックポイントです。
到着は10:39。区間距離7.3km、所要時間1時間43分、歩数10,658歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
東海道 蒲原~由比 [街道歩き]
5月18日。ここのところ仕事の密度が高く、疲れていたのでどうしようかと思いましたが、歩きに行くことにしました。今回は薩埵峠(さったとうげ)をやるので、ピーカンがほしいところですがこの日は雲が多く、これも迷った一因でした。でも、あまりに歩かないと体が心配、ということもあり、出発。でも車は止めて電車で。いつもの東海道線始発で熱海まで行き、沼津でもう一回乗り継いで(これ熱海で待っていても同じ電車みたい)、新蒲原に到着。
出発点は山居沢川。すぐそばに、問屋場跡の案内がありました。7:30出立です。
右側に旅籠和泉屋跡。
向かい側に本陣跡。
左側に手作りガラスの旧家。
右側に若宮神社。
御殿場跡。
右側に旧五十嵐歯科医院。大正時代の洋館です。
左側に志田家住宅主屋。
右側に美しい格子戸の家。
正面に長栄寺があるところで道は左にカーブを切ります。道なりに左折です。
街道は県道にぶつかりますので、右折します。合流点左側に西木戸跡。
見どころの多かった蒲原宿もようやく終わりです。見どころが多いと、歩が進みません。ペースをあげましょう。県道を歩きます。右側に和歌宮神社。
向田川を向田川橋で渡ります。
これは鮮魚店ですが、普通に「イルカスマシ」と書いてあります。
左側に一乗院。
左側にJR蒲原駅があります。
蒲原宿の最寄り駅は蒲原駅でなく新蒲原駅である、という不思議な状況になっています。これは、反対隣りの富士川駅の存在が関係しているそうです。間の宿であった岩淵の熱烈な誘致活動によって富士川駅ができ、蒲原宿では近すぎる、ということで今の蒲原駅ができましたが、人口の多い蒲原宿の近くに駅がないのは不便、ということで、後から新蒲原駅ができたとのことです。
さて、街道は東名高速をくぐります。
すぐ、信号神沢で旧道が左に分岐します。
玄関先に家のミニチュアが飾られている家がありました。個人のお宅なので、名前は隠してあります。
由比宿の東の枡形。
左側に一里塚跡。
右側に東の枡形跡の案内板。
右側に御七里役所之跡。
左側に正雪紺屋。由比正雪の生家ということです。
向かい側に由比本陣公園。本来であれば由比宿のチェックポイントはここであるべきでしょうが、八木師匠の地図は、交通アクセスを重視しているので、チェックポイントはもう少し先になっています。
左側に脇本陣温飩屋。明治の郵便局跡もあります。
右側に加宿問屋場跡。並びに正法寺。
左側におもしろ宿場館。
由比川を由比川橋で渡ります。ここから、由比桜えび通りです。
右側に豊積神社。
右側にあるヤマキチ桑原商店の先の細い道を右に入ります。
これが右折ポイントです。
右折したら、すぐ左折します。
えっ、これ?というような細い道です。
突き当たったら道なりに右折します。
車道にぶつかったら左折します。
左手、下にJR由比駅を見下ろします。後から考えると、ここを由比駅のチェックポイントにすべきだったようです。
車道の分岐点。歩道橋があり、左に曲がると由比駅、右に薩埵峠の旧道が分かれるポイントです。ここを由比宿のチェックポイントとします。到着は8:56。区間距離6.3km、所要時間1時間26分、歩数9,466歩。平均時速4.4km、平均歩幅67cmでした。
出発点は山居沢川。すぐそばに、問屋場跡の案内がありました。7:30出立です。
右側に旅籠和泉屋跡。
向かい側に本陣跡。
左側に手作りガラスの旧家。
右側に若宮神社。
御殿場跡。
右側に旧五十嵐歯科医院。大正時代の洋館です。
左側に志田家住宅主屋。
右側に美しい格子戸の家。
正面に長栄寺があるところで道は左にカーブを切ります。道なりに左折です。
街道は県道にぶつかりますので、右折します。合流点左側に西木戸跡。
見どころの多かった蒲原宿もようやく終わりです。見どころが多いと、歩が進みません。ペースをあげましょう。県道を歩きます。右側に和歌宮神社。
向田川を向田川橋で渡ります。
これは鮮魚店ですが、普通に「イルカスマシ」と書いてあります。
左側に一乗院。
左側にJR蒲原駅があります。
蒲原宿の最寄り駅は蒲原駅でなく新蒲原駅である、という不思議な状況になっています。これは、反対隣りの富士川駅の存在が関係しているそうです。間の宿であった岩淵の熱烈な誘致活動によって富士川駅ができ、蒲原宿では近すぎる、ということで今の蒲原駅ができましたが、人口の多い蒲原宿の近くに駅がないのは不便、ということで、後から新蒲原駅ができたとのことです。
さて、街道は東名高速をくぐります。
すぐ、信号神沢で旧道が左に分岐します。
玄関先に家のミニチュアが飾られている家がありました。個人のお宅なので、名前は隠してあります。
由比宿の東の枡形。
左側に一里塚跡。
右側に東の枡形跡の案内板。
右側に御七里役所之跡。
左側に正雪紺屋。由比正雪の生家ということです。
向かい側に由比本陣公園。本来であれば由比宿のチェックポイントはここであるべきでしょうが、八木師匠の地図は、交通アクセスを重視しているので、チェックポイントはもう少し先になっています。
左側に脇本陣温飩屋。明治の郵便局跡もあります。
右側に加宿問屋場跡。並びに正法寺。
左側におもしろ宿場館。
由比川を由比川橋で渡ります。ここから、由比桜えび通りです。
右側に豊積神社。
右側にあるヤマキチ桑原商店の先の細い道を右に入ります。
これが右折ポイントです。
右折したら、すぐ左折します。
えっ、これ?というような細い道です。
突き当たったら道なりに右折します。
車道にぶつかったら左折します。
左手、下にJR由比駅を見下ろします。後から考えると、ここを由比駅のチェックポイントにすべきだったようです。
車道の分岐点。歩道橋があり、左に曲がると由比駅、右に薩埵峠の旧道が分かれるポイントです。ここを由比宿のチェックポイントとします。到着は8:56。区間距離6.3km、所要時間1時間26分、歩数9,466歩。平均時速4.4km、平均歩幅67cmでした。
タグ:街道歩き
ゴールデンウィーク後半のアクティビティ 軽井沢 [鳥]
ゴールデンウィークは軽井沢のベストシーズン。渋滞していようと、行かないわけにはいかない。5月2日、家を3時半に出て、往きの渋滞はなかったが、帰り、圏央道が大渋滞との情報で環八から帰ったが、環八も大渋滞でした。
見られたのは、軽井沢3点セット(オオルリ、キビタキ、ミソサザイ)。今回はコルリは見られず。
http://nepali.html.xdomain.jp/
見られたのは、軽井沢3点セット(オオルリ、キビタキ、ミソサザイ)。今回はコルリは見られず。
http://nepali.html.xdomain.jp/
タグ:鳥
ゴールデンウィークの北海道 後半 [旅]
翌29日。この日は塘路ネイチャーセンターの「タンチョウエコツアー」に参加します。塘路までも結構遠い(2時間近くかかります)。まずは朝食。やっぱり、「こまごまとしたおかず」を食べます。牛乳も欠かせません。
塘路ネイチャーセンターの「タンチョウエコツアー」は、標茶から鶴居にかけて、タンチョウを探して移動します。お世話になるのが3度目の「マサさん」にガイドいただきます。
今回は、ネイチャーセンターのすぐそばで、抱卵しているタンチョウを見ることができました(
写真にするとよくわからない・・・)。
ゴールデンウィークは、タンチョウの抱卵期なので、探すのは大変です。でもマサさんはさすがです。いろいろな姿を見せてくれました。
タンチョウの成果はHPでどうぞ。
http://www.zf.em-net.ne.jp/~cranes/
ニュー阿寒ホテルのディナーは、できるだけ遅く食べればゆっくりできる、ということがわかりました。しかし、ここはレストランが狭すぎますね。従業員は一生懸命で好感が持てるのですが、残念です。
今日のお酒は「福司 まりもの雫」。
翌30日、帰ります。朝食は一番遅い「9:30」にしたら、ゆっくり食べられました。
釧路空港でランチにビールとザンギを楽しみました(写真忘れた)。娘は普段の10倍以上動いたでしょう。息子もインドア派なので、かなりの運動量だったはずです。
塘路ネイチャーセンターの「タンチョウエコツアー」は、標茶から鶴居にかけて、タンチョウを探して移動します。お世話になるのが3度目の「マサさん」にガイドいただきます。
今回は、ネイチャーセンターのすぐそばで、抱卵しているタンチョウを見ることができました(
写真にするとよくわからない・・・)。
ゴールデンウィークは、タンチョウの抱卵期なので、探すのは大変です。でもマサさんはさすがです。いろいろな姿を見せてくれました。
タンチョウの成果はHPでどうぞ。
http://www.zf.em-net.ne.jp/~cranes/
ニュー阿寒ホテルのディナーは、できるだけ遅く食べればゆっくりできる、ということがわかりました。しかし、ここはレストランが狭すぎますね。従業員は一生懸命で好感が持てるのですが、残念です。
今日のお酒は「福司 まりもの雫」。
翌30日、帰ります。朝食は一番遅い「9:30」にしたら、ゆっくり食べられました。
釧路空港でランチにビールとザンギを楽しみました(写真忘れた)。娘は普段の10倍以上動いたでしょう。息子もインドア派なので、かなりの運動量だったはずです。
ゴールデンウィークの北海道 前半 [旅]
ゴールデンウィーク、10連休。前半は北海道に行きました。家にこもっている娘を連れだすのが主目的。家内は留守番(骨休め)。息子を加え、親子三人旅です。
4月27日、昼の釧路便。釧路は雪がちらついています。レンタカー(これも予約できる会社・車種が限られていて大変だった)で一路、ウトロへ。ウトロは本格的に雪です。
今回は全3泊ですが、食べるものが限られる娘のために、全朝・夕食ともビュッフェにしました。一泊目はウトロの知床第一ホテル。大型の温泉ホテルです。
夕食ビュッフェは大きなレストランで提供されますが、すごい人。「17:45と19:30とどちらかの回で」と言われ、19:30を選びましたが、人が多すぎて料理を取るのもままなりません。刺身と寿司をメインに。まあ、和洋中と揃っているので、娘にはよかったようです。
翌28日はアクティビティ。9:30出航の、知床岬まで行くネイチャークルーズ(ゴジラ岩観光さん)です。
まずは朝食。朝食もすごい人。ぼくはいつものように「こまごまとしたご飯のおかず」を食べます。
生き物としてはヒグマとケイマフリが目玉。ケイマフリは見られましたが、写真は失敗。ヒグマはカムイワッカとルシャ湾で、計4頭(うち1頭は子供)見られました。
知床岬まで到達すると、国後がきれいに見えました。
ヒグマの写真は、HPにも掲載しました。
http://nepalianimals.web.fc2.com/
船を降りると昼過ぎです。ウトロは、道東でも屈指の観光地、人が多いので早々に退散。しかし、斜里まで出るともうランチタイムを過ぎていたりして、店を見つけられませんでした。セイコーマートで軽食を買ってランチとし、この日の宿泊地・阿寒湖畔に向かいました。
阿寒湖畔のニュー阿寒ホテルには2泊します。ここも大型温泉ホテルです。昨日を上回るすごい人です。夕食は、取るのがやっと・・・
写真を撮るのを忘れましたが、「ひとりジンギスカン」がありました。そうそう、落ち着かないディナーですが、せめてお酒を楽しみましょう。釧路の地酒「北の勝」です(昨日は釧路の地酒「福司」でした)。
4月27日、昼の釧路便。釧路は雪がちらついています。レンタカー(これも予約できる会社・車種が限られていて大変だった)で一路、ウトロへ。ウトロは本格的に雪です。
今回は全3泊ですが、食べるものが限られる娘のために、全朝・夕食ともビュッフェにしました。一泊目はウトロの知床第一ホテル。大型の温泉ホテルです。
夕食ビュッフェは大きなレストランで提供されますが、すごい人。「17:45と19:30とどちらかの回で」と言われ、19:30を選びましたが、人が多すぎて料理を取るのもままなりません。刺身と寿司をメインに。まあ、和洋中と揃っているので、娘にはよかったようです。
翌28日はアクティビティ。9:30出航の、知床岬まで行くネイチャークルーズ(ゴジラ岩観光さん)です。
まずは朝食。朝食もすごい人。ぼくはいつものように「こまごまとしたご飯のおかず」を食べます。
生き物としてはヒグマとケイマフリが目玉。ケイマフリは見られましたが、写真は失敗。ヒグマはカムイワッカとルシャ湾で、計4頭(うち1頭は子供)見られました。
知床岬まで到達すると、国後がきれいに見えました。
ヒグマの写真は、HPにも掲載しました。
http://nepalianimals.web.fc2.com/
船を降りると昼過ぎです。ウトロは、道東でも屈指の観光地、人が多いので早々に退散。しかし、斜里まで出るともうランチタイムを過ぎていたりして、店を見つけられませんでした。セイコーマートで軽食を買ってランチとし、この日の宿泊地・阿寒湖畔に向かいました。
阿寒湖畔のニュー阿寒ホテルには2泊します。ここも大型温泉ホテルです。昨日を上回るすごい人です。夕食は、取るのがやっと・・・
写真を撮るのを忘れましたが、「ひとりジンギスカン」がありました。そうそう、落ち着かないディナーですが、せめてお酒を楽しみましょう。釧路の地酒「北の勝」です(昨日は釧路の地酒「福司」でした)。