中山道 鴻巣~熊谷 [街道歩き]
鴻巣で5分だけ休憩して、8:40、再び歩き始めます。左側に中山道鴻巣宿碑。
右手に法要寺。
街道筋の楽しみ、立派な家。
右手に鴻神社があります。鴻巣宿の総鎮守です。その昔、ここに木の神といわれる大樹があり、人々はお供えをして木の神の難を避けていました。あるときこの木にコウノトリが巣をかけたところ、大蛇が卵を狙って近づいてきました。コウノトリは大蛇を突き殺し、それ以来木の神の難がなくなったとのことです。その昔、コウノトリがこのあたりにはいたわけですね。コウノトリはいったん野生絶滅しましたが、兵庫県豊岡市のコウノトリの郷で野生復帰活動をした・・・おっと、話がずれました。
信号加美。Y字路の重要な分岐点です。右側に池元院。
加美のY字路は左へ進みます。県道365号線です。分岐点には道標があります。ありがたいですね。
第三中仙道踏切で高崎線を渡ります。
立派な家。
旧街道を歩いている雰囲気になってきます。
右手に箕田観音堂。
信号宮前を直進します。
右手に龍昌寺。
右手に氷川八幡神社。
左側に馬頭観音。
武蔵水路を中宿橋で渡ります。
左側に石塔群。
箕田追分のY字路。右は館林行田道です。中山道は左です。
右側に箕田の説明板があります。
左側には地蔵堂と庚申塔があります。
さあ、左の道を進みましょう。ここで、日本橋から歩き始めて、初めて田んぼが広がります。
前砂村碑。
前砂の一里塚跡。
信号前砂。Y字路になっており、街道は右方向、県道です。右側に中山道道標があります。
右からJR高崎線が寄り添ってきます。丸岡スクールの前で、第四中仙道踏切で高崎線を渡ります。
踏切の手前に、中山道間の宿吹上の碑があります。
踏切を渡ったらすぐ左折します。この道です。
左側に寿司勝があるのが目印です。
Y字路が現れます。Y字路の又に妙徳地蔵があります。右方向に進みます。
県道307号線に合流します。
「中山道」と書いてくれています。
信号吹上駅前。直進します。
信号吹上本町で左折します。道標があります。このルートは道標が親切で、本当にありがたいです。
こんな道です。
道なりに右に曲がります。
右手に東曜寺。
並びに吹上神社。
左側、JR高崎線を渡る跨線橋の階段下に、中山道間の宿の碑があります。鴻巣と熊谷の間が四里六町、約16kmと長かったため、ここ吹上が間の宿として発展したとのことです。ここでしばし休憩します。到着は10:17。休憩の主目的は水分補給です。
10:22、再び歩き始めます。跨線橋でJR高崎線を渡ります。
渡ったら、高崎線沿いの道を進みます。
ほどなく道は高崎線から離れていきます。
右側に、中山道榎戸村の碑があります。
ここで右に曲がる道があります。街道は直進ですが、右に曲がった先をみると、トイレが設置されています。本当にありがたいです。
先へ進みましょう。道はいかにも街道チックになっています。
土手に突き当たるところに、権八地蔵があります。
権八地蔵の前にある像は、遠くから見ると羽の生えた天使に見えましたが、なんと昔懐かしい、二宮尊徳でした。歩き読書、歩きスマホは危ないからやめましょうね。
土手道に上がります。荒川土手ですが、流れは見えません。右側には田園風景が広がります。気持ちのいいウォーキングです。
土手道を歩いていくと、右に下りていくY字路が現れます。右の道をとり、大曲集落に向かて下りていきます。
右側に馬頭観音があります。旧街道の証です。
再び土手道に合流します。
さらに上の土手道に合流します。
右側のマンションが近づくと、Y字路が現れます。マンション方面に右に下りていきます。
下の道と合流します。
道は堤の中腹を進みます。
道はやがて、堤の下に下ります。
堤の下に下りきったところに、久下堤碑があります。脇にカルタ風の説明板が立っています。このカルタ、これからあちこちで見られます。
右側に久下神社。
右側に白壁の土蔵をもつ旧家・新井家があります。
県道257号線をくぐります。
道がY字路になります。街道は左です。
さらに分岐があります。右側に児童公園があります。
公園内に道標があります。左松山道とあります。松山道とは久下の渡しのことです。
同じく公園内に熊谷堤碑があります。伊藤博文による篆額です。横にカルタの説明板があります。
公園の向かいに、久下権八地蔵堂があります。
さて、分岐ですが、右は行き止まり、と書いてあります。ということは、左しかありません。土手に上がります。
上がったところに、久下の渡し跡碑があります。
さらに上の道に合流します。
土手上の道はY字路になります。左の土手上の道に車止めがあるのが目印です。街道は右側の道を下ります。
下りたところ、民家の塀の中に、みかりや跡の説明板があります。みかりや=御狩屋で、殿様の鷹狩の休息地です。贅沢にもカルタが3枚もあります。
右手から道が合流してきます。
左手に東竹禅院。
元荒川を熊久橋で渡ります。元荒川はムサシイトヨの生息地だという説明書きがあります。ムサシイトヨというのは魚です。
熊久橋を渡ったところは、旧道トレースの右折ポイントです。渡ってすぐ、ここを右折します。
道(元荒川通り)を渡り、正面の道に入ります。
すぐ、筒井さんの家の向こう側を左折します。
完全に住宅地です。不審者と思われそうです。
左からきた道と合流します。この道、熊久橋を渡るまで歩いてきた道です。
おもしろい形の家がありました。建築に詳しくないので、「〇〇です」と言えないのが残念です。
右手に地蔵尊。
並びに佛説寺。
右手の公園内に、八丁の一里塚跡の説明板があります。
そして唐突に、熊谷駅に出ます。まっすぐいけば南口に着きますが、街道はここで右に折れます。
秩父鉄道の踏切を渡ります。
上越新幹線をくぐります。
JR高崎線の踏切を渡ります。
先の信号は直進です。
その先の信号も直進します。
国道17号線に突き当たったら左折します。交差点の名前は銀座一丁目です。
信号筑波。熊谷宿のチェックポイントに到着です。鴻巣から長い距離でした。到着は12:09。
区間距離は15.7km、所要時間は間の宿吹上でのロスタイムを差し引いて、3時間24分。歩数は21,522歩。平均時速4.6km、平均歩幅73cmでした。県道をひたすら歩くのではない、旧道トレースが入ってくると、やはり平均時速は4.5km近くまで落ちてきます。
今日はここまで。次の宿、深谷までは11.9kmありますので、ぼくの実力には長すぎます。今日の総距離は24.0km、所要時間は4時間58分、歩数32,592歩、平均時速4.8km、平均歩幅74cmでした。
熊谷といえば日本一暑い町(のひとつ)。今日はそうでもありません。東京の最高気温予想が28度程度、このぐらいなら快適です。
熊谷駅から桶川まで高崎線で戻りますが、その前に昼食です。熊谷といえばうどんですが、駅にあるうどん屋はなんとなくそそられませんでした。隣にモスバーガーがありましたが、今日はハンバーガーという気分でもありません。結局、朝に引き続いてそばにしました。改札内の「あずみ」で月見そば(朝食べられなかったのでちょうどいい)。立ち食いそばですが椅子もあります。
熊谷駅の外観を撮り忘れたので、これを撮りました。
桶川からは圏央道と東名。渋滞もなく快適に帰ってきました。
右手に法要寺。
街道筋の楽しみ、立派な家。
右手に鴻神社があります。鴻巣宿の総鎮守です。その昔、ここに木の神といわれる大樹があり、人々はお供えをして木の神の難を避けていました。あるときこの木にコウノトリが巣をかけたところ、大蛇が卵を狙って近づいてきました。コウノトリは大蛇を突き殺し、それ以来木の神の難がなくなったとのことです。その昔、コウノトリがこのあたりにはいたわけですね。コウノトリはいったん野生絶滅しましたが、兵庫県豊岡市のコウノトリの郷で野生復帰活動をした・・・おっと、話がずれました。
信号加美。Y字路の重要な分岐点です。右側に池元院。
加美のY字路は左へ進みます。県道365号線です。分岐点には道標があります。ありがたいですね。
第三中仙道踏切で高崎線を渡ります。
立派な家。
旧街道を歩いている雰囲気になってきます。
右手に箕田観音堂。
信号宮前を直進します。
右手に龍昌寺。
右手に氷川八幡神社。
左側に馬頭観音。
武蔵水路を中宿橋で渡ります。
左側に石塔群。
箕田追分のY字路。右は館林行田道です。中山道は左です。
右側に箕田の説明板があります。
左側には地蔵堂と庚申塔があります。
さあ、左の道を進みましょう。ここで、日本橋から歩き始めて、初めて田んぼが広がります。
前砂村碑。
前砂の一里塚跡。
信号前砂。Y字路になっており、街道は右方向、県道です。右側に中山道道標があります。
右からJR高崎線が寄り添ってきます。丸岡スクールの前で、第四中仙道踏切で高崎線を渡ります。
踏切の手前に、中山道間の宿吹上の碑があります。
踏切を渡ったらすぐ左折します。この道です。
左側に寿司勝があるのが目印です。
Y字路が現れます。Y字路の又に妙徳地蔵があります。右方向に進みます。
県道307号線に合流します。
「中山道」と書いてくれています。
信号吹上駅前。直進します。
信号吹上本町で左折します。道標があります。このルートは道標が親切で、本当にありがたいです。
こんな道です。
道なりに右に曲がります。
右手に東曜寺。
並びに吹上神社。
左側、JR高崎線を渡る跨線橋の階段下に、中山道間の宿の碑があります。鴻巣と熊谷の間が四里六町、約16kmと長かったため、ここ吹上が間の宿として発展したとのことです。ここでしばし休憩します。到着は10:17。休憩の主目的は水分補給です。
10:22、再び歩き始めます。跨線橋でJR高崎線を渡ります。
渡ったら、高崎線沿いの道を進みます。
ほどなく道は高崎線から離れていきます。
右側に、中山道榎戸村の碑があります。
ここで右に曲がる道があります。街道は直進ですが、右に曲がった先をみると、トイレが設置されています。本当にありがたいです。
先へ進みましょう。道はいかにも街道チックになっています。
土手に突き当たるところに、権八地蔵があります。
権八地蔵の前にある像は、遠くから見ると羽の生えた天使に見えましたが、なんと昔懐かしい、二宮尊徳でした。歩き読書、歩きスマホは危ないからやめましょうね。
土手道に上がります。荒川土手ですが、流れは見えません。右側には田園風景が広がります。気持ちのいいウォーキングです。
土手道を歩いていくと、右に下りていくY字路が現れます。右の道をとり、大曲集落に向かて下りていきます。
右側に馬頭観音があります。旧街道の証です。
再び土手道に合流します。
さらに上の土手道に合流します。
右側のマンションが近づくと、Y字路が現れます。マンション方面に右に下りていきます。
下の道と合流します。
道は堤の中腹を進みます。
道はやがて、堤の下に下ります。
堤の下に下りきったところに、久下堤碑があります。脇にカルタ風の説明板が立っています。このカルタ、これからあちこちで見られます。
右側に久下神社。
右側に白壁の土蔵をもつ旧家・新井家があります。
県道257号線をくぐります。
道がY字路になります。街道は左です。
さらに分岐があります。右側に児童公園があります。
公園内に道標があります。左松山道とあります。松山道とは久下の渡しのことです。
同じく公園内に熊谷堤碑があります。伊藤博文による篆額です。横にカルタの説明板があります。
公園の向かいに、久下権八地蔵堂があります。
さて、分岐ですが、右は行き止まり、と書いてあります。ということは、左しかありません。土手に上がります。
上がったところに、久下の渡し跡碑があります。
さらに上の道に合流します。
土手上の道はY字路になります。左の土手上の道に車止めがあるのが目印です。街道は右側の道を下ります。
下りたところ、民家の塀の中に、みかりや跡の説明板があります。みかりや=御狩屋で、殿様の鷹狩の休息地です。贅沢にもカルタが3枚もあります。
右手から道が合流してきます。
左手に東竹禅院。
元荒川を熊久橋で渡ります。元荒川はムサシイトヨの生息地だという説明書きがあります。ムサシイトヨというのは魚です。
熊久橋を渡ったところは、旧道トレースの右折ポイントです。渡ってすぐ、ここを右折します。
道(元荒川通り)を渡り、正面の道に入ります。
すぐ、筒井さんの家の向こう側を左折します。
完全に住宅地です。不審者と思われそうです。
左からきた道と合流します。この道、熊久橋を渡るまで歩いてきた道です。
おもしろい形の家がありました。建築に詳しくないので、「〇〇です」と言えないのが残念です。
右手に地蔵尊。
並びに佛説寺。
右手の公園内に、八丁の一里塚跡の説明板があります。
そして唐突に、熊谷駅に出ます。まっすぐいけば南口に着きますが、街道はここで右に折れます。
秩父鉄道の踏切を渡ります。
上越新幹線をくぐります。
JR高崎線の踏切を渡ります。
先の信号は直進です。
その先の信号も直進します。
国道17号線に突き当たったら左折します。交差点の名前は銀座一丁目です。
信号筑波。熊谷宿のチェックポイントに到着です。鴻巣から長い距離でした。到着は12:09。
区間距離は15.7km、所要時間は間の宿吹上でのロスタイムを差し引いて、3時間24分。歩数は21,522歩。平均時速4.6km、平均歩幅73cmでした。県道をひたすら歩くのではない、旧道トレースが入ってくると、やはり平均時速は4.5km近くまで落ちてきます。
今日はここまで。次の宿、深谷までは11.9kmありますので、ぼくの実力には長すぎます。今日の総距離は24.0km、所要時間は4時間58分、歩数32,592歩、平均時速4.8km、平均歩幅74cmでした。
熊谷といえば日本一暑い町(のひとつ)。今日はそうでもありません。東京の最高気温予想が28度程度、このぐらいなら快適です。
熊谷駅から桶川まで高崎線で戻りますが、その前に昼食です。熊谷といえばうどんですが、駅にあるうどん屋はなんとなくそそられませんでした。隣にモスバーガーがありましたが、今日はハンバーガーという気分でもありません。結局、朝に引き続いてそばにしました。改札内の「あずみ」で月見そば(朝食べられなかったのでちょうどいい)。立ち食いそばですが椅子もあります。
熊谷駅の外観を撮り忘れたので、これを撮りました。
桶川からは圏央道と東名。渋滞もなく快適に帰ってきました。
2017-06-04 12:41
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