日光壬生道 鹿沼~文挾 [街道歩き]
9:01、先を進めます。
すぐ、道がY時に分かれます。右側が田町通りで江戸時代以前からの街並、左側が内町通りで元和二年(1616年)に形成された宿並とのことです。分岐の又が鳥居跡(とりいど)。源頼朝が建立した遠鳥居跡ということで、日光二荒山神社から勧請した二荒山神社が鎮座しています。
内町通りのほうを進みます。左側に雲龍寺。
右側にある鈴木内科が本陣跡です。
信号石橋町を越えた右側にある大坂屋は、鹿沼箒の老舗です。
左側にまちの駅新鹿沼宿。
左側に仲町屋台収蔵庫。
左側に天満宮。
左側に星宮神社。
左側に辨財天。
左側に松源寺。塩なめ地蔵尊が安置されています。
信号御成橋西で右折して、黒川を御成橋で渡ります。
橋を渡り切ったら左に進みます。といっても、大きな道を道なりに進むイメージです。街道はここから上り基調となります。
すぐ、左上に下野不動尊。
名残り松。
日光の杉並木が始まります。ここから日光市です。杉並木入口の右側に並木寄進碑があります。
ここから先、杉並木の左側(外側)の遊歩道を歩きます。
小倉の一里塚の西塚が現れます。
向かい側には東塚が見えます。
右側にJR文挟駅が見えたら、文挾宿のチェックポイントです。これ、「ふばさみ」と読みます。宿命は文挾、JRの駅名は文挟になっています。
11:20到着。距離9.6km、所要2時間19分、歩数14,219歩。平均時速4.1km、平均歩幅68cmでした。
今日はここまで。総距離15.3km、所要3時間36分、歩数22,388歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
すぐ、道がY時に分かれます。右側が田町通りで江戸時代以前からの街並、左側が内町通りで元和二年(1616年)に形成された宿並とのことです。分岐の又が鳥居跡(とりいど)。源頼朝が建立した遠鳥居跡ということで、日光二荒山神社から勧請した二荒山神社が鎮座しています。
内町通りのほうを進みます。左側に雲龍寺。
右側にある鈴木内科が本陣跡です。
信号石橋町を越えた右側にある大坂屋は、鹿沼箒の老舗です。
左側にまちの駅新鹿沼宿。
左側に仲町屋台収蔵庫。
左側に天満宮。
左側に星宮神社。
左側に辨財天。
左側に松源寺。塩なめ地蔵尊が安置されています。
信号御成橋西で右折して、黒川を御成橋で渡ります。
橋を渡り切ったら左に進みます。といっても、大きな道を道なりに進むイメージです。街道はここから上り基調となります。
すぐ、左上に下野不動尊。
名残り松。
日光の杉並木が始まります。ここから日光市です。杉並木入口の右側に並木寄進碑があります。
ここから先、杉並木の左側(外側)の遊歩道を歩きます。
小倉の一里塚の西塚が現れます。
向かい側には東塚が見えます。
右側にJR文挟駅が見えたら、文挾宿のチェックポイントです。これ、「ふばさみ」と読みます。宿命は文挾、JRの駅名は文挟になっています。
11:20到着。距離9.6km、所要2時間19分、歩数14,219歩。平均時速4.1km、平均歩幅68cmでした。
今日はここまで。総距離15.3km、所要3時間36分、歩数22,388歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
日光壬生道 楡木~奈佐原~鹿沼 [街道歩き]
6月21日、夏至。日光壬生道の続きです。楡木駅入口から出立。7:42です。
次の奈佐原宿まではわずか1.5km。楡木宿と奈佐原宿は合宿とされ、問屋業務は半年交代で務めたということです。なので、通常このブログでは一区間一記事としていますが、この記事に、奈佐原までと、その次の鹿沼までをあわせて記載します。
右側に石仏石塔群。
右側にゆばのたまのや。このあたりが奈佐原宿の南口です。
向かいの墓地に石仏石塔群。
左側に問屋場跡。土手が残されています。当初、この目印はわからないであろうとの予想から、この先に文楽用具所蔵庫を奈佐原宿のチェックポイントにしようと思っていましたが、旧家然とした門柱があり、土手らしきものが確認できたので、この問屋場跡をチェックポイントとしました。
奈佐原宿には本陣がなかったため、問屋場を勤めた萩原家が、参勤の際も勤めたとのことです。楡木から奈佐原の距離は1.5km、到着は8:00。所要18分、歩数2,021歩。平均時速5.0km、平均歩幅74cmでした。短距離なので、誤差は大きいですね。さて、そのまま先を進めます。
すぐ、右手に、当初チェックポイントと考えていた、奈佐原文楽用具収蔵庫。
左側に、「三春の滝桜」なるものがありました。
左側に追分地蔵。左手に、出流山(いずるさん)満願寺への道が分かれます。
左手に生子神社。
その先に笠付道標。出流山満願寺への道標です。
信号大門宿で、左から道が合流してきます。振り返ると合流の又に道標があります。
信号村井町を越えた左側に、村井宝龍観音。特徴的な如意輪観音が含まれていますね。
信号新鹿沼駅前が鹿沼宿のチェックポイントです。
距離は4.2km、到着は8:59。所要59分、歩数6,148歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
次の奈佐原宿まではわずか1.5km。楡木宿と奈佐原宿は合宿とされ、問屋業務は半年交代で務めたということです。なので、通常このブログでは一区間一記事としていますが、この記事に、奈佐原までと、その次の鹿沼までをあわせて記載します。
右側に石仏石塔群。
右側にゆばのたまのや。このあたりが奈佐原宿の南口です。
向かいの墓地に石仏石塔群。
左側に問屋場跡。土手が残されています。当初、この目印はわからないであろうとの予想から、この先に文楽用具所蔵庫を奈佐原宿のチェックポイントにしようと思っていましたが、旧家然とした門柱があり、土手らしきものが確認できたので、この問屋場跡をチェックポイントとしました。
奈佐原宿には本陣がなかったため、問屋場を勤めた萩原家が、参勤の際も勤めたとのことです。楡木から奈佐原の距離は1.5km、到着は8:00。所要18分、歩数2,021歩。平均時速5.0km、平均歩幅74cmでした。短距離なので、誤差は大きいですね。さて、そのまま先を進めます。
すぐ、右手に、当初チェックポイントと考えていた、奈佐原文楽用具収蔵庫。
左側に、「三春の滝桜」なるものがありました。
左側に追分地蔵。左手に、出流山(いずるさん)満願寺への道が分かれます。
左手に生子神社。
その先に笠付道標。出流山満願寺への道標です。
信号大門宿で、左から道が合流してきます。振り返ると合流の又に道標があります。
信号村井町を越えた左側に、村井宝龍観音。特徴的な如意輪観音が含まれていますね。
信号新鹿沼駅前が鹿沼宿のチェックポイントです。
距離は4.2km、到着は8:59。所要59分、歩数6,148歩。平均時速4.3km、平均歩幅68cmでした。
日光壬生道 壬生~楡木 [街道歩き]
5月16日。この日も、都合により短距離。1日10kmずつで刻んでいたのでは不経済なのですが。
信号壬生駅入口から出立。7:45です。
すぐ、右側の松本内科の横に松本家の門。
左側に石崎家の長屋門。
左側に興光寺。
右側に、斎藤玄昌旧宅跡の標柱。壬生藩主鳥居家の御典医を勤めた人です。
信号信号大師町南を左折します。が、曲がり角にセブンイレブンがあるので、立ち寄ります。この日は朝食がまだだったので。
右側に壬生寺。
左側に名残り杉。
北関東自動車道をくぐります。
右側に田んぼの中に金売り吉次の墓があります。金売り吉次なんて聞いてピンとくる人はよほどの変人、じゃなかった、義経ファンかなにかでしょう。平泉に逃れる義経に従っていましたが、この地で病に倒れ、生涯を閉じたということです。
左側に稲葉の一里塚。西塚が現存しています。
右側に鯉沼九八郎翁碑。板垣退助の自由党に入った人です。
右側に不動尊入口の標柱。
左側に小社。
左側に圓宗寺。
左側に梅林天満宮。
右側に七ツ石伝承館。
鹿沼市に入ります。
右側に馬力神。
左側に金刀比羅宮。
左側に田んぼの中に判官塚古墳があります。義経が冠を埋めたとか、塚穴に隠れて追っ手から逃れたなどの言い伝えがあります。
左側に北赤塚の一里塚。西塚が現存しています。一里塚と国道の間に旧道の痕跡があります。この痕跡、このあと少々続き、歩道として機能します。ありがたいですね。
左側に愛宕神社。
杉並木の名残があります。杉並木の裏側に歩道が続いています。これもありがたい。
東北自動車道をくぐります。
追分交差点。左から日光例幣使街道が合流してきます。交差点手前左側に追分道標があります。
信号楡木町。信号のわずか先の左折できるポイントが、楡木駅入口かつ楡木宿のチェックポイントです。
10:04到着。距離10.9km、所要(セブンイレブンでのロスタイムを除き)2時間19分、歩数15,024歩。平均時速4.1km、平均歩幅67cmでした。今日は都合によりここまでです。
信号壬生駅入口から出立。7:45です。
すぐ、右側の松本内科の横に松本家の門。
左側に石崎家の長屋門。
左側に興光寺。
右側に、斎藤玄昌旧宅跡の標柱。壬生藩主鳥居家の御典医を勤めた人です。
信号信号大師町南を左折します。が、曲がり角にセブンイレブンがあるので、立ち寄ります。この日は朝食がまだだったので。
右側に壬生寺。
左側に名残り杉。
北関東自動車道をくぐります。
右側に田んぼの中に金売り吉次の墓があります。金売り吉次なんて聞いてピンとくる人はよほどの変人、じゃなかった、義経ファンかなにかでしょう。平泉に逃れる義経に従っていましたが、この地で病に倒れ、生涯を閉じたということです。
左側に稲葉の一里塚。西塚が現存しています。
右側に鯉沼九八郎翁碑。板垣退助の自由党に入った人です。
右側に不動尊入口の標柱。
左側に小社。
左側に圓宗寺。
左側に梅林天満宮。
右側に七ツ石伝承館。
鹿沼市に入ります。
右側に馬力神。
左側に金刀比羅宮。
左側に田んぼの中に判官塚古墳があります。義経が冠を埋めたとか、塚穴に隠れて追っ手から逃れたなどの言い伝えがあります。
左側に北赤塚の一里塚。西塚が現存しています。一里塚と国道の間に旧道の痕跡があります。この痕跡、このあと少々続き、歩道として機能します。ありがたいですね。
左側に愛宕神社。
杉並木の名残があります。杉並木の裏側に歩道が続いています。これもありがたい。
東北自動車道をくぐります。
追分交差点。左から日光例幣使街道が合流してきます。交差点手前左側に追分道標があります。
信号楡木町。信号のわずか先の左折できるポイントが、楡木駅入口かつ楡木宿のチェックポイントです。
10:04到着。距離10.9km、所要(セブンイレブンでのロスタイムを除き)2時間19分、歩数15,024歩。平均時速4.1km、平均歩幅67cmでした。今日は都合によりここまでです。
日光壬生道 飯塚~壬生 [街道歩き]
8:46、再び歩き始めます。すぐ、右側にそば屋の「よろづや」がある向かい(つまり左側)が飯塚宿の上本陣跡です。
ほどなく、国指定琵琶塚摩利支天塚古墳の案内板があります。右に折れると古墳があります。このあたり古墳が多いですね。古墳は、決して、畿内や九州だけにあったのではありません。
左側に台林寺。門前に六地蔵があります。
並びに天満宮。
少し歩くと飯塚の一里塚。両塚を残しています。
こちらが東塚。
こちらが西塚。
左側に紫雲寺。
下野市に入ります。
栃木市に入ります。
壬生町に入ります。
黒川を御成橋で渡ります。
壬生の一里塚。西塚が残されています。
東武宇都宮線の踏切を渡ります。
壬生交番前のY字路を右、といっても、まあ道なりに右カーブなんですが。
信号壬生駅入口が壬生宿のチェックポイントです。
10:08到着。区間距離6.3km、所要1時間22分、歩数9,245歩。平均時速4.6km、平均歩幅68cmでした。
まだ時刻は早いのですが、都合により今日はここまで。今日の総距離10.2km、所要2時間18分、歩数15,191歩。平均時速4.4km、平均歩幅67cmでした。
ほどなく、国指定琵琶塚摩利支天塚古墳の案内板があります。右に折れると古墳があります。このあたり古墳が多いですね。古墳は、決して、畿内や九州だけにあったのではありません。
左側に台林寺。門前に六地蔵があります。
並びに天満宮。
少し歩くと飯塚の一里塚。両塚を残しています。
こちらが東塚。
こちらが西塚。
左側に紫雲寺。
下野市に入ります。
栃木市に入ります。
壬生町に入ります。
黒川を御成橋で渡ります。
壬生の一里塚。西塚が残されています。
東武宇都宮線の踏切を渡ります。
壬生交番前のY字路を右、といっても、まあ道なりに右カーブなんですが。
信号壬生駅入口が壬生宿のチェックポイントです。
10:08到着。区間距離6.3km、所要1時間22分、歩数9,245歩。平均時速4.6km、平均歩幅68cmでした。
まだ時刻は早いのですが、都合により今日はここまで。今日の総距離10.2km、所要2時間18分、歩数15,191歩。平均時速4.4km、平均歩幅67cmでした。
日光壬生道 出立 小山(喜沢)~飯塚 [街道歩き]
日光御成道に続いての脇街道は、日光壬生道を選びました。日光壬生道、または壬生通りは、日光道中の小山の少し先、喜沢で左(西)に分岐し、壬生を通って、今市の追分で再合流します。途中鹿沼で日光例幣使街道が合流してきて、鹿沼から今市までは両街道が並立することになります。地元ではこの区間を日光例幣使街道とするのが主流のようですが、ぼくの街道歩きの師匠・八木さんのHPでは日光壬生道としており、ぼく自身も壬生道を先に歩く(例幣使街道はまだ歩いていない)ので、この区間を日光壬生道として取り扱います。日光壬生道は、将軍の日光東照宮参拝の帰路に利用されることが多かったようです。
出立は、小山駅から旧日光街道を少し北に歩いた、信号喜沢分岐点です。7:45出立です。
分岐点の左側に馬力神があります。
ほどなく、街道の両側が小山ゴルフクラブとなります。左側にあるクラブハウスを過ぎると、左側に喜沢西の一里塚が現存しています。
左側、ゴルフ場の敷地内に桑57号墳という古墳。帆立貝型古墳だそうです。
ゴルフ場を抜けると、田園風景になります。右側に東島田子育地蔵尊。
左側に四体の石仏。
左側に、古民家を利用した大日美術館。
扶桑歩道橋の交差点を左折します。
姿川を半田橋で渡ります。
信号羽川西小のY字路を右に取ります。
右手の段上に七面大明神。
そのはす向かいに妙典寺。
右側に元祖桑の里元気うどんがある向かい側(つまり左側)が飯塚宿下本陣の本陣門です。飯塚宿のチェックポイントです。
8:41到着。区間距離3.9km、所要56分、歩数5,946歩。平均時速4.2km、平均歩幅66cmでした。
出立は、小山駅から旧日光街道を少し北に歩いた、信号喜沢分岐点です。7:45出立です。
分岐点の左側に馬力神があります。
ほどなく、街道の両側が小山ゴルフクラブとなります。左側にあるクラブハウスを過ぎると、左側に喜沢西の一里塚が現存しています。
左側、ゴルフ場の敷地内に桑57号墳という古墳。帆立貝型古墳だそうです。
ゴルフ場を抜けると、田園風景になります。右側に東島田子育地蔵尊。
左側に四体の石仏。
左側に、古民家を利用した大日美術館。
扶桑歩道橋の交差点を左折します。
姿川を半田橋で渡ります。
信号羽川西小のY字路を右に取ります。
右手の段上に七面大明神。
そのはす向かいに妙典寺。
右側に元祖桑の里元気うどんがある向かい側(つまり左側)が飯塚宿下本陣の本陣門です。飯塚宿のチェックポイントです。
8:41到着。区間距離3.9km、所要56分、歩数5,946歩。平均時速4.2km、平均歩幅66cmでした。
日光御成道 完歩 岩槻~幸手の日光道中合流点 [街道歩き]
5月6日、日光御成道完歩しました。最後の、岩槻~幸手を歩きました。
6:39、細田医院前(本陣跡)を出立。
左手に願生寺。
右側のにぎわい交流館岩槻の前に、岩槻の一里塚跡標柱。
左手に大願寺。
信号渋江で左折します。
曲がると、日光御成街道の案内があります。
右側に浄安寺。浄安寺の山門は、「槍返しの門」と言われています。
東武アーバンパークラインをくぐります。
左手に久伊豆神社。
左側に龍門禅寺。
右側に人間総合科学大学岩槻キャンパスがある先の信号がY字路になっています。左に進みます。
Yの又に覆屋があり、地蔵尊が安置されています。その横に道標があるようですが、ガードレールに阻まれて見えません。
右側に板塀の旧家(関根家)。角に馬頭観音があります。
元荒川を慈恩寺橋で渡ります。
渡詰左側に猿田彦大神の道標。
右側に馬頭観音。
右側に慈恩寺道標。
右側に庚申塔道標。
右側に青面金剛庚申塔。
左側にお不動さま。
隣に宝国寺。奥に見える赤い建物は延命地蔵尊。
左側にお玉さま。内部にお玉(柄杓)が備えられているのが見えます。子供が百日咳にかかると、奉納されているお玉を借りて、これで子供に味噌汁を飲ませ、治ると倍にして返すとのこと。
左側に庚申塔。
白岡市に入ります(さいたま市は大きかった)。
隼人堀川を往還橋で渡ります。
右手に名残り杉。
姫宮落川(おとしがわ)を野田橋で渡ります。
渡詰左側に不動明王像。
下野田の一里塚。両塚を残しています。こちら東塚。
こちら西塚。
右側の桜の古木の根方に六地蔵。
左側に青面金剛像道標。
宮代町に入ります。
左側に鷲宮神社。
備前堀川を国納橋で渡ります。
東武伊勢崎線の踏切を渡ります。
備前前堀川を和戸小橋で、そのまま大落(おおおとし)古利根川を和戸橋で渡ります。
杉戸町に入ります。
右手に、下高野の一里塚の東塚。
左側に八幡神社。
右側に天神社。
左側に名残り松。松並木の案内板があります。
幸手市に入ります。
圏央道をくぐると、ゴールは目の前です。
左側に馬頭観音の道標。
左側に青面金剛像道標。
左側にスーパーTAIRAYAがあります。TAIRAYAの向かい側に分岐する道があり、これが日光道中です。到着、完歩しました。TAIRAYAは、日光道中を歩いた時はベルクでした。
この日の成績は、距離15.1km、所要3時間28分、歩数22,154歩。平均時速4.4km、平均歩幅68cmでした。全区間県道歩きで速度が出やすかったとはいえ、地図がないため始終場所をチェックしながらの中で、まあいい感じでしょう。冬の間なまっていた足が、ようやく活性化されてきたようです。
これで日光御成道完歩。全47.6km、所要12時間7分、歩数72,196歩。平均時速3.9km、平均歩幅66cmでした。
6:39、細田医院前(本陣跡)を出立。
左手に願生寺。
右側のにぎわい交流館岩槻の前に、岩槻の一里塚跡標柱。
左手に大願寺。
信号渋江で左折します。
曲がると、日光御成街道の案内があります。
右側に浄安寺。浄安寺の山門は、「槍返しの門」と言われています。
東武アーバンパークラインをくぐります。
左手に久伊豆神社。
左側に龍門禅寺。
右側に人間総合科学大学岩槻キャンパスがある先の信号がY字路になっています。左に進みます。
Yの又に覆屋があり、地蔵尊が安置されています。その横に道標があるようですが、ガードレールに阻まれて見えません。
右側に板塀の旧家(関根家)。角に馬頭観音があります。
元荒川を慈恩寺橋で渡ります。
渡詰左側に猿田彦大神の道標。
右側に馬頭観音。
右側に慈恩寺道標。
右側に庚申塔道標。
右側に青面金剛庚申塔。
左側にお不動さま。
隣に宝国寺。奥に見える赤い建物は延命地蔵尊。
左側にお玉さま。内部にお玉(柄杓)が備えられているのが見えます。子供が百日咳にかかると、奉納されているお玉を借りて、これで子供に味噌汁を飲ませ、治ると倍にして返すとのこと。
左側に庚申塔。
白岡市に入ります(さいたま市は大きかった)。
隼人堀川を往還橋で渡ります。
右手に名残り杉。
姫宮落川(おとしがわ)を野田橋で渡ります。
渡詰左側に不動明王像。
下野田の一里塚。両塚を残しています。こちら東塚。
こちら西塚。
右側の桜の古木の根方に六地蔵。
左側に青面金剛像道標。
宮代町に入ります。
左側に鷲宮神社。
備前堀川を国納橋で渡ります。
東武伊勢崎線の踏切を渡ります。
備前前堀川を和戸小橋で、そのまま大落(おおおとし)古利根川を和戸橋で渡ります。
杉戸町に入ります。
右手に、下高野の一里塚の東塚。
左側に八幡神社。
右側に天神社。
左側に名残り松。松並木の案内板があります。
幸手市に入ります。
圏央道をくぐると、ゴールは目の前です。
左側に馬頭観音の道標。
左側に青面金剛像道標。
左側にスーパーTAIRAYAがあります。TAIRAYAの向かい側に分岐する道があり、これが日光道中です。到着、完歩しました。TAIRAYAは、日光道中を歩いた時はベルクでした。
この日の成績は、距離15.1km、所要3時間28分、歩数22,154歩。平均時速4.4km、平均歩幅68cmでした。全区間県道歩きで速度が出やすかったとはいえ、地図がないため始終場所をチェックしながらの中で、まあいい感じでしょう。冬の間なまっていた足が、ようやく活性化されてきたようです。
これで日光御成道完歩。全47.6km、所要12時間7分、歩数72,196歩。平均時速3.9km、平均歩幅66cmでした。
日光御成道 大門~岩槻 [街道歩き]
先をつづけます。すぐ、左側に大門宿脇本陣表門。
右側に大興寺が現れます。ここで、旧道が右に分岐しますが、その先は東北自動車道で遮られて通行不可になっています。そこで、そのまま県道を進み、橋で東北自動車道を横断し、向かいに見えるホテルに沿って進みます(つまり直進)。
街道が左にカーブすることろが、旧道の復帰ポイントです。
左側に青面金剛像庚申塔。
右側に八幡社。
左側に氷川神社。参道口に青面金剛像庚申塔。
右側に光徳寺。
淡々と書いていますが、このあたりひたすら県道歩きです。歩道は狭く、決して快適ではありません。
右側に膝子の一里塚・東塚が現存しています。
左側に筆塚。
左側、貸コンテナの置き場に、青面金剛像の庚申塔。
七里中学校の入口がある信号のところで、旧道が右手に分岐します(ホッ、やっと)。
右側に地蔵尊。
左側にタムスさくらの杜が見えたら、そのすぐ先のY字路を右に取ります。
深作川を古簀子橋(ふるすのこばし)で渡ります。
先の信号古簀子橋を直進します。
信号大橋で右折し、綾瀬川を大橋で渡ります。
右側にセブンイレブンがある信号交差点を左折します。
東武アーバンパークラインの踏切を渡ります。
踏切を渡った先で、道は大きく右にカーブします。このU字状が馬蹄に見えるところから「馬坂」と呼ばれています。
東北自動車道をくぐります。
くぐってすぐ、左側に階段があるので、これを上り、跨線橋を使って、さきほど踏切で渡った東武アーバンラインを再び渡ります。
跨線橋階段を下ります。
すぐ先、左に道が分岐します。ここが、東北自動車道で通れなくなった本当の馬坂の続きです。
県道2号線にぶつかるので左折します。県道にぶつかったところに「わらべ人形像」があります。
右側に久伊豆神社。
左側に浄国寺。
右側に西光寺。
左側に八雲神社。
右側に岩槻郷土資料館。
左側に高札場が縮小復元されています。
左側に細田医院。ここが本陣跡で、岩槻宿のチェックポイントです。
9:22到着。区間距離10.5km、所要2時間34分、歩数15,732歩。平均時速4.1km、平均歩幅67cmでした。
都合により今日はここまで。今日の成績は、距離12.4km、所要2時間56分、歩数18,370歩。平均時速4.2km、平均歩幅68cmでした。
岩槻駅はほんのわずか戻って、信号岩槻駅東口入口を右折したところにあります。
右側に大興寺が現れます。ここで、旧道が右に分岐しますが、その先は東北自動車道で遮られて通行不可になっています。そこで、そのまま県道を進み、橋で東北自動車道を横断し、向かいに見えるホテルに沿って進みます(つまり直進)。
街道が左にカーブすることろが、旧道の復帰ポイントです。
左側に青面金剛像庚申塔。
右側に八幡社。
左側に氷川神社。参道口に青面金剛像庚申塔。
右側に光徳寺。
淡々と書いていますが、このあたりひたすら県道歩きです。歩道は狭く、決して快適ではありません。
右側に膝子の一里塚・東塚が現存しています。
左側に筆塚。
左側、貸コンテナの置き場に、青面金剛像の庚申塔。
七里中学校の入口がある信号のところで、旧道が右手に分岐します(ホッ、やっと)。
右側に地蔵尊。
左側にタムスさくらの杜が見えたら、そのすぐ先のY字路を右に取ります。
深作川を古簀子橋(ふるすのこばし)で渡ります。
先の信号古簀子橋を直進します。
信号大橋で右折し、綾瀬川を大橋で渡ります。
右側にセブンイレブンがある信号交差点を左折します。
東武アーバンパークラインの踏切を渡ります。
踏切を渡った先で、道は大きく右にカーブします。このU字状が馬蹄に見えるところから「馬坂」と呼ばれています。
東北自動車道をくぐります。
くぐってすぐ、左側に階段があるので、これを上り、跨線橋を使って、さきほど踏切で渡った東武アーバンラインを再び渡ります。
跨線橋階段を下ります。
すぐ先、左に道が分岐します。ここが、東北自動車道で通れなくなった本当の馬坂の続きです。
県道2号線にぶつかるので左折します。県道にぶつかったところに「わらべ人形像」があります。
右側に久伊豆神社。
左側に浄国寺。
右側に西光寺。
左側に八雲神社。
右側に岩槻郷土資料館。
左側に高札場が縮小復元されています。
左側に細田医院。ここが本陣跡で、岩槻宿のチェックポイントです。
9:22到着。区間距離10.5km、所要2時間34分、歩数15,732歩。平均時速4.1km、平均歩幅67cmでした。
都合により今日はここまで。今日の成績は、距離12.4km、所要2時間56分、歩数18,370歩。平均時速4.2km、平均歩幅68cmでした。
岩槻駅はほんのわずか戻って、信号岩槻駅東口入口を右折したところにあります。
日光御成道 東川口~大門 [街道歩き]
日光御成道 鳩ヶ谷~東川口 [街道歩き]
最後のひと踏ん張りです。
藤屋のはす向かいに北西商店があります。店舗と蔵は登録有形文化財です。
右側に市場杭跡。
右側に地蔵院。
右側に子日(ねのひ)神社。
並びに多宝院不動堂。
向かいに氷川神社。
信号西新井宿で首都高川口線をくぐります。ここは歩道がなく、歩道橋を渡る必要があります。疲れている時、特に足にきているときは、歩道橋を渡るのは本当に苦痛です(今日はまだ大丈夫です)。
東京外環自動車道をくぐります。ここも歩道橋でした。
右側に真乗院。
正確に覚えていないのですが、この辺りから、歩道がなくなります。歩道がなく、交通量がある程度多いところを歩くのは、本当に恐怖です。
右側に祠が二宇あります。
段上の覆屋には聖徳太子立像が安置されているそうです。
右側に一里塚ポケットパーク。戸塚の一里塚です。
JR武蔵野線を渡る橋に出ます。次の宿は大門宿ですが、交通の都合上、今日はここまで。
12:07到着。区間距離4.9km、所要1時間12分、歩数7,729歩。平均時速4.1km、平均歩幅63cmでした。この日の合計は、距離20.1km、所要5時間43分、歩数31,672歩、平均時速3.5km、平均歩幅63cmでした。
街道は橋を渡って直進ですが、ここを右に曲がればJR武蔵野線の東川口駅です。
藤屋のはす向かいに北西商店があります。店舗と蔵は登録有形文化財です。
右側に市場杭跡。
右側に地蔵院。
右側に子日(ねのひ)神社。
並びに多宝院不動堂。
向かいに氷川神社。
信号西新井宿で首都高川口線をくぐります。ここは歩道がなく、歩道橋を渡る必要があります。疲れている時、特に足にきているときは、歩道橋を渡るのは本当に苦痛です(今日はまだ大丈夫です)。
東京外環自動車道をくぐります。ここも歩道橋でした。
右側に真乗院。
正確に覚えていないのですが、この辺りから、歩道がなくなります。歩道がなく、交通量がある程度多いところを歩くのは、本当に恐怖です。
右側に祠が二宇あります。
段上の覆屋には聖徳太子立像が安置されているそうです。
右側に一里塚ポケットパーク。戸塚の一里塚です。
JR武蔵野線を渡る橋に出ます。次の宿は大門宿ですが、交通の都合上、今日はここまで。
12:07到着。区間距離4.9km、所要1時間12分、歩数7,729歩。平均時速4.1km、平均歩幅63cmでした。この日の合計は、距離20.1km、所要5時間43分、歩数31,672歩、平均時速3.5km、平均歩幅63cmでした。
街道は橋を渡って直進ですが、ここを右に曲がればJR武蔵野線の東川口駅です。
日光御成道 川口~鳩ヶ谷 [街道歩き]
先を進めます。すぐ、右側に中西日進堂薬局。大正時代の建築です。
街道はロータリーに突き当たります。ロータリーの中は、川口宿ミニパークになっています。
ロータリーの交差点を右折し、すぐの歩道橋を渡ります。左折方向の国道122号線の左側にまで渡ります。
歩道橋の左側、122号線を進みます。
芝川を上の橋で渡ります。
右側に旧田中家住宅。大正十二年(1923年)築の三階建洋館と昭和十年(1935年)築の和館からなり、国指定重要文化財となっています。
左側に薬林寺。入口に庚申塔があります。
新芝川を鳩ヶ谷大橋で渡ります。
Y字路を右に取ります。
見沼代用水東縁を吹上橋で渡ります。橋の脇に、日光御成道と鳩ヶ谷宿の案内板があります。
右側に千住院跡の案内板。
右側にあるファミリーファッション藤屋が、鳩ヶ谷宿の本陣跡です。
10:52到着。区間距離4.7km、所要1時間17分、歩数6,997歩。平均時速3.7km、平均歩幅67cmでした。
街道はロータリーに突き当たります。ロータリーの中は、川口宿ミニパークになっています。
ロータリーの交差点を右折し、すぐの歩道橋を渡ります。左折方向の国道122号線の左側にまで渡ります。
歩道橋の左側、122号線を進みます。
芝川を上の橋で渡ります。
右側に旧田中家住宅。大正十二年(1923年)築の三階建洋館と昭和十年(1935年)築の和館からなり、国指定重要文化財となっています。
左側に薬林寺。入口に庚申塔があります。
新芝川を鳩ヶ谷大橋で渡ります。
Y字路を右に取ります。
見沼代用水東縁を吹上橋で渡ります。橋の脇に、日光御成道と鳩ヶ谷宿の案内板があります。
右側に千住院跡の案内板。
右側にあるファミリーファッション藤屋が、鳩ヶ谷宿の本陣跡です。
10:52到着。区間距離4.7km、所要1時間17分、歩数6,997歩。平均時速3.7km、平均歩幅67cmでした。