中山道 坂本~軽井沢 [街道歩き]
先を急ぎましょう。難所・碓氷峠を控えている上に、坂本宿は見どころが多く時間がかかります。佐藤本陣の並びにあるのが、みよがや脇本陣跡です。
右側に永井脇本陣跡。
右側に酒屋脇本陣跡、これは現公民館です。その隣に元旅籠かぎや。
小林一茶の定宿、元旅籠たかさごや跡。
旅籠丸仁屋跡。
上木戸が再現されています。
右側に芭蕉句碑。「ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かへ」。
並びに八幡宮。
左側に青松寺。
国道が右にカーブして行きますが、旧街道はこのガードレールの手前で左に入る土道です。林道赤松沢線と書いてあります。
ここで右に折れ、浄水場方面に進みます。
旧道。
道標に従って進みます。
旧道。
国道18号線を横断します。
横断したところにあるのが碓氷小屋。
いよいよ、碓氷峠にとりかかります。案内板を見ていたら、ひとりの男の人(ぼくより少し若いか同年代かぐらいかな)に声をかけられました。「これ、行くんですか」との問い。軽井沢側に抜けられるのか、ネットを調べても自信が持てなかったとのこと。この人とは、この後も何度か出会うことになります。
登り始めてまもなく、堂峰番所跡。
旧道。
柱状節理。
この辺り、刎石坂と呼ばれています。ここに石塔石仏群。
刎石坂を上り切ったところにある上り地蔵下り地蔵。
展望が開け、坂本宿の宿並が見下ろせる「覗」。この辺りまでは、「箱根のほうがきついな」と思っていました。
馬頭観音。
風穴。溶岩の割れ目から水蒸気が噴き出しています。
弘法の井戸。弘法大師が、刎石茶屋(この上)に井戸がないことを知り、ここを掘ると霊水が湧いたそうです。
刎石茶屋跡。
四軒茶屋跡。
碓氷坂の関所跡。ここに関所が設置されたのは昌泰二年(899年)のことです。
倒木が道をふさぎます。この後も頻繁に倒木は現れます。このころはまだ元気だったのでよかったのですが、後で足が上がらなくなると、倒木は本当に悩みの種になりました。
掘り切り。天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、松井田城主大道寺駿河守が尾根道の両側を削って細くし、防戦を図ったが突破されてしまったとのこと。
南向馬頭観音。この先に北向馬頭観音があります。
北向馬頭観音。
北向馬頭観音の説明板に、「馬頭観音は危険な場所にあります」という記載があります。ここでの危険がこの崖です。
刎石の一里塚。
座頭ころがし。このころになるともう足が自由にはあがらなくなってきました。しかも空腹。食料を持ってこなかったのは不覚でした。「座頭ころがし」という名称は、旧坂で座頭が転ぶという意味なので、地図上に名前を見ただけで恐れていたのですが、ここの場合、岩や小石、赤土で滑りやすいための命名であり、それほどの旧坂でなかったので助かりました。
栗が原。このあたり平坦で、ほっとできます。
倒木。
山中の杉並木街道。
入道くぼ馬頭観音。「入道くぼ」の名前の由来は説明板にもありませんでした。
山中茶屋跡。
山中学校跡。不覚にも、撮影した説明板が読めず、「山中学校」の由来が不明。
看板があるので振り向くと、「Uターンできない」との御託。Uターン?ここまで車が入る?
「安政遠足」ゴールまで3km。ゴールはどこ?
山中坂の看板。この急坂は空腹では持たず、旅人は手前の山中茶屋で飯を食ってから上ったので、別名「飯食い坂」とも呼ばれていました。山中茶屋の繁盛はこの坂によっていたのです。飯食い坂の由来、実感します。エネルギー切れです。
旧道。
一つ家跡。ここに老婆がいて、旅人を苦しめたそうです。
陣場が原追分。ここで道がY字路に分かれます。中山道は左。右は安政遠足の道、皇女和宮降嫁の際に開削された道だということです。なお、八木さんのHPによると、「安政遠足」は毎年5月第2日曜日に開催されるそうです。
右手に「子持山」の看板。右手にある山です。「兒持山 若かへるでの もみづまで 寝もと吾は思う 汝はあどか思う」(万葉集、読み人しらず)。
ここにも安政遠足の道標。
倒木。
化粧水跡。峠町に行く旅人がこの水で姿形を直したそうです。
これから笹沢を徒歩で渡ります。その手前にある人馬施工所跡。江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が幕府に寄付をし、ここと和田峠に施工所を設け、旅人に粥と焚火、牛馬に煮麦を施したということです。
笹沢を渡ります。小規模ですが渡渉です。これがわからず、上のほうまで上がってしまった人もいました。
沢の向こう側に道が見えます。間違いありません。ところで、ここでも人に会いましたが、碓氷峠、意外に歩く人が多いです。甲州道中の笹子峠のような孤独感はありません。碓氷峠にはクマがでるということで今回熊鈴を用意したのですが、なくてもよかったほどです。
でも道は悪いです。また倒木。
旧道。
長坂道。峠前の最後の上り坂です。足はもう限界です。
道標があります。ここで道は右に90度折れます。
T字路にぶつかります。ここで左に折れます。正面には仁王門跡。
その左に思婦石。
そしてやっと、碓氷峠頂上にたどり着きました。12:25、歩数計は15,996歩を示しています。箱根よりずっときつかった!
足も空腹も限界です。名物「力餅」を商う店が並んでいます。その一つ(というか開店している中で一番手前)、見晴亭に入ります。
テラス席があります。天候もいいし、ここにしましょう。
軽井沢高原ビール。すばらしい漬物が付いてきます。
名物力餅。種類が多く迷いましたが、「からみ」(おろし大根)にしました。野沢菜も出してくれました。
そして月見そば。空腹のあまり、少々頼みすぎたようです。でも、全部おいしかった!
さあ、満腹になりました。出発しましょう。12:52、再出発です。
右側に熊野神社。
碓氷峠の信濃側は、ここまで車道が延びていますが、旧道は駐車場の脇から降りる土道です。道標が目印です。
道は舗装路に突き当たるので、斜め右に横断し、再び土道に入ります。
道標に従って進みます。この後も、道標や赤いテープがそこここにあり、道を教えてくれます。
こんな道です。かなりの悪路です。上州側より悪いかもしれません。
道標。
旧道。
舗装路に出ます。このあたりは別荘地帯です。
いつのまにかまた土道になっています。
遊歩道入口(出口)です。ここを左折です。
矢ヶ崎川を二手橋で渡ります。
左側に芭蕉句碑。「馬をさへ ながむる雪の あした哉」。
右側につるや旅館。往時は茶屋。明治以降旅館となり、芥川龍之介や堀辰雄などの文人が多く宿泊したそうです。
右側に神宮寺。
街道は旧軽銀座に突っ込んでいきます。すごい人です。
交差点が「西の枡形」です。ここを中軽井沢方面に進みます。なお、「東の枡形」はつるや旅館の前です。
ロータリーの交差点「六本辻」が軽井沢宿のチェックポイントです。無事到着です。14時ちょうど着。坂本宿からの区間距離は11.5km、所要時間4時間41分、歩数18,269歩。平均時速2.5km、平均歩幅63cmでした。
帰りは軽井沢駅から。新幹線と、横川行のバスしか帰る手段はありません。今回は新幹線で東京まで直行です。
新幹線は1時間に1本しか止まりません(時間帯によっては2本)。ちょっと不便です。
じつは、年始にたてた今年の目標のひとつが「中山道を軽井沢まで」でした(もう一つがイタリア語検定4級合格でした)。これで達成です。中山道も往復が長くなってきました。歩きに行くのか、電車乗りに(あるいはドライブに)行くのかわからなくなってくる距離です。この先をやるかどうかは、少し考えます。
右側に永井脇本陣跡。
右側に酒屋脇本陣跡、これは現公民館です。その隣に元旅籠かぎや。
小林一茶の定宿、元旅籠たかさごや跡。
旅籠丸仁屋跡。
上木戸が再現されています。
右側に芭蕉句碑。「ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かへ」。
並びに八幡宮。
左側に青松寺。
国道が右にカーブして行きますが、旧街道はこのガードレールの手前で左に入る土道です。林道赤松沢線と書いてあります。
ここで右に折れ、浄水場方面に進みます。
旧道。
道標に従って進みます。
旧道。
国道18号線を横断します。
横断したところにあるのが碓氷小屋。
いよいよ、碓氷峠にとりかかります。案内板を見ていたら、ひとりの男の人(ぼくより少し若いか同年代かぐらいかな)に声をかけられました。「これ、行くんですか」との問い。軽井沢側に抜けられるのか、ネットを調べても自信が持てなかったとのこと。この人とは、この後も何度か出会うことになります。
登り始めてまもなく、堂峰番所跡。
旧道。
柱状節理。
この辺り、刎石坂と呼ばれています。ここに石塔石仏群。
刎石坂を上り切ったところにある上り地蔵下り地蔵。
展望が開け、坂本宿の宿並が見下ろせる「覗」。この辺りまでは、「箱根のほうがきついな」と思っていました。
馬頭観音。
風穴。溶岩の割れ目から水蒸気が噴き出しています。
弘法の井戸。弘法大師が、刎石茶屋(この上)に井戸がないことを知り、ここを掘ると霊水が湧いたそうです。
刎石茶屋跡。
四軒茶屋跡。
碓氷坂の関所跡。ここに関所が設置されたのは昌泰二年(899年)のことです。
倒木が道をふさぎます。この後も頻繁に倒木は現れます。このころはまだ元気だったのでよかったのですが、後で足が上がらなくなると、倒木は本当に悩みの種になりました。
掘り切り。天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、松井田城主大道寺駿河守が尾根道の両側を削って細くし、防戦を図ったが突破されてしまったとのこと。
南向馬頭観音。この先に北向馬頭観音があります。
北向馬頭観音。
北向馬頭観音の説明板に、「馬頭観音は危険な場所にあります」という記載があります。ここでの危険がこの崖です。
刎石の一里塚。
座頭ころがし。このころになるともう足が自由にはあがらなくなってきました。しかも空腹。食料を持ってこなかったのは不覚でした。「座頭ころがし」という名称は、旧坂で座頭が転ぶという意味なので、地図上に名前を見ただけで恐れていたのですが、ここの場合、岩や小石、赤土で滑りやすいための命名であり、それほどの旧坂でなかったので助かりました。
栗が原。このあたり平坦で、ほっとできます。
倒木。
山中の杉並木街道。
入道くぼ馬頭観音。「入道くぼ」の名前の由来は説明板にもありませんでした。
山中茶屋跡。
山中学校跡。不覚にも、撮影した説明板が読めず、「山中学校」の由来が不明。
看板があるので振り向くと、「Uターンできない」との御託。Uターン?ここまで車が入る?
「安政遠足」ゴールまで3km。ゴールはどこ?
山中坂の看板。この急坂は空腹では持たず、旅人は手前の山中茶屋で飯を食ってから上ったので、別名「飯食い坂」とも呼ばれていました。山中茶屋の繁盛はこの坂によっていたのです。飯食い坂の由来、実感します。エネルギー切れです。
旧道。
一つ家跡。ここに老婆がいて、旅人を苦しめたそうです。
陣場が原追分。ここで道がY字路に分かれます。中山道は左。右は安政遠足の道、皇女和宮降嫁の際に開削された道だということです。なお、八木さんのHPによると、「安政遠足」は毎年5月第2日曜日に開催されるそうです。
右手に「子持山」の看板。右手にある山です。「兒持山 若かへるでの もみづまで 寝もと吾は思う 汝はあどか思う」(万葉集、読み人しらず)。
ここにも安政遠足の道標。
倒木。
化粧水跡。峠町に行く旅人がこの水で姿形を直したそうです。
これから笹沢を徒歩で渡ります。その手前にある人馬施工所跡。江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が幕府に寄付をし、ここと和田峠に施工所を設け、旅人に粥と焚火、牛馬に煮麦を施したということです。
笹沢を渡ります。小規模ですが渡渉です。これがわからず、上のほうまで上がってしまった人もいました。
沢の向こう側に道が見えます。間違いありません。ところで、ここでも人に会いましたが、碓氷峠、意外に歩く人が多いです。甲州道中の笹子峠のような孤独感はありません。碓氷峠にはクマがでるということで今回熊鈴を用意したのですが、なくてもよかったほどです。
でも道は悪いです。また倒木。
旧道。
長坂道。峠前の最後の上り坂です。足はもう限界です。
道標があります。ここで道は右に90度折れます。
T字路にぶつかります。ここで左に折れます。正面には仁王門跡。
その左に思婦石。
そしてやっと、碓氷峠頂上にたどり着きました。12:25、歩数計は15,996歩を示しています。箱根よりずっときつかった!
足も空腹も限界です。名物「力餅」を商う店が並んでいます。その一つ(というか開店している中で一番手前)、見晴亭に入ります。
テラス席があります。天候もいいし、ここにしましょう。
軽井沢高原ビール。すばらしい漬物が付いてきます。
名物力餅。種類が多く迷いましたが、「からみ」(おろし大根)にしました。野沢菜も出してくれました。
そして月見そば。空腹のあまり、少々頼みすぎたようです。でも、全部おいしかった!
さあ、満腹になりました。出発しましょう。12:52、再出発です。
右側に熊野神社。
碓氷峠の信濃側は、ここまで車道が延びていますが、旧道は駐車場の脇から降りる土道です。道標が目印です。
道は舗装路に突き当たるので、斜め右に横断し、再び土道に入ります。
道標に従って進みます。この後も、道標や赤いテープがそこここにあり、道を教えてくれます。
こんな道です。かなりの悪路です。上州側より悪いかもしれません。
道標。
旧道。
舗装路に出ます。このあたりは別荘地帯です。
いつのまにかまた土道になっています。
遊歩道入口(出口)です。ここを左折です。
矢ヶ崎川を二手橋で渡ります。
左側に芭蕉句碑。「馬をさへ ながむる雪の あした哉」。
右側につるや旅館。往時は茶屋。明治以降旅館となり、芥川龍之介や堀辰雄などの文人が多く宿泊したそうです。
右側に神宮寺。
街道は旧軽銀座に突っ込んでいきます。すごい人です。
交差点が「西の枡形」です。ここを中軽井沢方面に進みます。なお、「東の枡形」はつるや旅館の前です。
ロータリーの交差点「六本辻」が軽井沢宿のチェックポイントです。無事到着です。14時ちょうど着。坂本宿からの区間距離は11.5km、所要時間4時間41分、歩数18,269歩。平均時速2.5km、平均歩幅63cmでした。
帰りは軽井沢駅から。新幹線と、横川行のバスしか帰る手段はありません。今回は新幹線で東京まで直行です。
新幹線は1時間に1本しか止まりません(時間帯によっては2本)。ちょっと不便です。
じつは、年始にたてた今年の目標のひとつが「中山道を軽井沢まで」でした(もう一つがイタリア語検定4級合格でした)。これで達成です。中山道も往復が長くなってきました。歩きに行くのか、電車乗りに(あるいはドライブに)行くのかわからなくなってくる距離です。この先をやるかどうかは、少し考えます。
2017-11-04 14:16
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0