中山道 新町~倉賀野 [街道歩き]
新町までの予定でしたが、天気は最高、秋風が心地よい、というわけで、もう少し先に進むことにしました。12:11再スタート。
すぐ、左手に旅籠高瀬屋跡。
温井川(ぬくいがわ)を弁天橋で渡りますが、その前、左側に弁財天があります。ここはかつて川中の島「弁天島」でした。
温井川を渡ります。
渡ると藤岡市に入ります。
川を渡ってすぐのY字路を右に取ります。
分かれ道に旧中山道標識があります。
右手に伊勢島神社。
国指定有形文化財の川端家。江戸時代の豪農であり、明治に入ると生糸の貿易で財をなしたそうです。
その先に信仰庵。
関越道をくぐります。
くぐる直前に中山道道標。
関越道をくぐると、中島の旧道トレースです。このY字路を左に進みます。Y字路といいながら、左に直角に曲がる道もありますが、そちらに進んではいけません。
用水路が中央にある道を進みます。旧道の雰囲気のある、いい感じの道になっています。
八木さんの地図には「県道の手前の電柱の所から土手上に上がる」とあります。県道の手前、電柱といえばこれですが・・・
道は・・・これ?!
土手上の道に上がります。
土手上の道を進み、わかりにくのですがここで土手からおります。中島の旧道入口です。
ここを左折します。
ここを右折します。右側に有坂様のお宅があるところです。
突き当りを右折します。
旧中山道の標識があります。
土手に突き当たります。左折します。
道が尽きてしまいました。道はありませんが、ここで土手上に上がります。
これから渡る柳瀬橋が見えます。
ここで右折して、烏川を柳瀬橋で渡ります。
渡り切ったら、再び高崎市になります。
渡しの先の旧道に復帰するため、右折して土手道を進みます。
管理施設「岩鼻樋管」の向かい側にある石段を下り、旧道に復帰します。
旧道に復帰しました。
趣のある家があります。
左手に北向子育観音。
信号岩鼻町は直進です。
まもなく旧道分岐です。左側に「八栄鮨」があるのが目印で、ここを左に入ります。
すぐ県道に合流します。
信号新柳瀬橋北を過ぎると、高崎線を渡る跨線橋にかかります。困ったことに左側には歩道がなく、しかもそれが事前にはわかりません。柳瀬橋北で反対側に渡っておくのがおすすめです(ぼくは知らなかったのでそのまま左側を進みました)。
どこかの会社の入口にあった牛。結構なインパクト。
関東ロックウールのところで旧道が左手に分かれます。
すぐのY字路を右。
次のY字路も右。
右側、理容タカハシの手前に馬頭観音。
理容タカハシのところで県道に合流します。
信号下町直進。いよいよ倉賀野宿に入ります。
左側に黒塀に門構えの旧家があります。
並びに卯建をあげた旧家。
和菓子の丁子堂。
左側に、中山道倉賀野宿碑と双体道祖神。
駐車場に本陣跡碑。
そして信号倉賀野駅入口、到着です。ちょうど14:00。
そこに御伝馬人馬継立場跡の碑があります。
新町からの区間距離は7.9km。所要1時間49分、歩数9,790歩。平均時速4.3km、平均歩幅81cmでした。平均時速が遅いのは、倉賀野宿に入ってから旧家の撮影に時間を要したからです。
今日はここまで。総距離16.9km、所要時間3時間40分、歩数21,578歩。平均時速4.6km、平均歩幅78cmでした。
倉賀野駅まで約400m。駅はこれです。「自由通路」から駅に入ります。
さて、昼食です。倉賀野駅の周りには何もありそうにありません。一駅先が高崎です。高崎まで行きましょう。
高崎でも、あまりゆっくりしていると帰りが遅くなります。結局、駅そばになりました。
では、帰りましょう。横浜までは長い旅です。
すぐ、左手に旅籠高瀬屋跡。
温井川(ぬくいがわ)を弁天橋で渡りますが、その前、左側に弁財天があります。ここはかつて川中の島「弁天島」でした。
温井川を渡ります。
渡ると藤岡市に入ります。
川を渡ってすぐのY字路を右に取ります。
分かれ道に旧中山道標識があります。
右手に伊勢島神社。
国指定有形文化財の川端家。江戸時代の豪農であり、明治に入ると生糸の貿易で財をなしたそうです。
その先に信仰庵。
関越道をくぐります。
くぐる直前に中山道道標。
関越道をくぐると、中島の旧道トレースです。このY字路を左に進みます。Y字路といいながら、左に直角に曲がる道もありますが、そちらに進んではいけません。
用水路が中央にある道を進みます。旧道の雰囲気のある、いい感じの道になっています。
八木さんの地図には「県道の手前の電柱の所から土手上に上がる」とあります。県道の手前、電柱といえばこれですが・・・
道は・・・これ?!
土手上の道に上がります。
土手上の道を進み、わかりにくのですがここで土手からおります。中島の旧道入口です。
ここを左折します。
ここを右折します。右側に有坂様のお宅があるところです。
突き当りを右折します。
旧中山道の標識があります。
土手に突き当たります。左折します。
道が尽きてしまいました。道はありませんが、ここで土手上に上がります。
これから渡る柳瀬橋が見えます。
ここで右折して、烏川を柳瀬橋で渡ります。
渡り切ったら、再び高崎市になります。
渡しの先の旧道に復帰するため、右折して土手道を進みます。
管理施設「岩鼻樋管」の向かい側にある石段を下り、旧道に復帰します。
旧道に復帰しました。
趣のある家があります。
左手に北向子育観音。
信号岩鼻町は直進です。
まもなく旧道分岐です。左側に「八栄鮨」があるのが目印で、ここを左に入ります。
すぐ県道に合流します。
信号新柳瀬橋北を過ぎると、高崎線を渡る跨線橋にかかります。困ったことに左側には歩道がなく、しかもそれが事前にはわかりません。柳瀬橋北で反対側に渡っておくのがおすすめです(ぼくは知らなかったのでそのまま左側を進みました)。
どこかの会社の入口にあった牛。結構なインパクト。
関東ロックウールのところで旧道が左手に分かれます。
すぐのY字路を右。
次のY字路も右。
右側、理容タカハシの手前に馬頭観音。
理容タカハシのところで県道に合流します。
信号下町直進。いよいよ倉賀野宿に入ります。
左側に黒塀に門構えの旧家があります。
並びに卯建をあげた旧家。
和菓子の丁子堂。
左側に、中山道倉賀野宿碑と双体道祖神。
駐車場に本陣跡碑。
そして信号倉賀野駅入口、到着です。ちょうど14:00。
そこに御伝馬人馬継立場跡の碑があります。
新町からの区間距離は7.9km。所要1時間49分、歩数9,790歩。平均時速4.3km、平均歩幅81cmでした。平均時速が遅いのは、倉賀野宿に入ってから旧家の撮影に時間を要したからです。
今日はここまで。総距離16.9km、所要時間3時間40分、歩数21,578歩。平均時速4.6km、平均歩幅78cmでした。
倉賀野駅まで約400m。駅はこれです。「自由通路」から駅に入ります。
さて、昼食です。倉賀野駅の周りには何もありそうにありません。一駅先が高崎です。高崎まで行きましょう。
高崎でも、あまりゆっくりしていると帰りが遅くなります。結局、駅そばになりました。
では、帰りましょう。横浜までは長い旅です。
中山道 本庄~新町 [街道歩き]
9月2日、土曜日。雨予報となっていましたが、昼からは晴れる、ということで、遅い出発で街道歩きに出かけました。
遅い出発のときは電車に限ります。7:59横浜駅発の上野東京ライン、高崎行きで、本庄まで。
本庄宿のチェックポイント、信号本庄駅入口を10:18に出立しました。風は完全に秋、青空も見られます。暑さは全く感じません。遅い出発なので、とりあえず次の新町宿までの予定です。
歩き始めてすぐ、右側にある「戸谷八」は、創業永禄三年とあります。西暦1560年。
中山道辛味処、電気館カレー。
左側にある赤レンガの建物。お隣、深谷が煉瓦の産地であり、この深谷煉瓦を使用した、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫です。
右手に安養院。
街道筋には、いい感じの建物が見られます。
右側に現れる金鑚神社。大切な右折チェックポイントです。
金鑚神社の向こう側、信号千代田三丁目で右折です。
右折すると、歩道(左側)に、中山道の宿場名が埋め込まれています。日本橋から草津まであります。
宿場名の埋め込みが尽きたところ、歩道橋の手前を左折します。
旧道の様子。
まもなく旧道は県道に合流します。
県道沿いではありますが、趣のある家が見られます。
上里町に入ります。
左手に浅間神社。古墳の上に祀られているそうです。
御陣場川を楠森橋で渡ります。
道の両側に庚申塔があります。これが左側の庚申塔。
右側の庚申塔。
蔵。
信号神保原1丁目。T字路を右折します。
信号神保原(北)で国道17号線を横断し、向かい側の斜め左方向に道に入ります。
左側に、石塔石仏群に囲われた薬師堂があります。
右手に金久保八幡神社。
左手にある、金窪城址案内板。
右手にある、三国道入口の標石。新町宿への直路ができるまでは、ここで曲がって、倉賀野宿に向かっていたそうです。
左手に陽雲寺。
右手にある畑時能首塚。新田義貞の家臣です。
左手にある中山道解説板。
右手にある慰霊の碑。
右手に石塔石仏群。
その先に一里塚跡。お堂の脇にあります。
街道が国道に合流する直前にある、趣のある塀。
信号勅使河原(北)で国道17号線に合流します。
神流川(かんながわ)を神流川橋で渡ります。
神流川を渡ると群馬県、上野国です。
神流川古戦場跡碑。
街道はここで国道から右手に分かれます。新町宿に入っていきます。
Y字路の又に復元された見透燈籠。
右手に八坂神社。
右手に諏訪神社。
右手に専福寺。
右手に浄泉寺。
右手に高札場跡。
そして新町宿のチェックポイント、信号新町駅入口です。12:09着。
本庄宿からの区間距離は9.0km。所要1時間51分、歩数11,788歩。平均時速4.9km、平均歩幅76cmでした。
遅い出発のときは電車に限ります。7:59横浜駅発の上野東京ライン、高崎行きで、本庄まで。
本庄宿のチェックポイント、信号本庄駅入口を10:18に出立しました。風は完全に秋、青空も見られます。暑さは全く感じません。遅い出発なので、とりあえず次の新町宿までの予定です。
歩き始めてすぐ、右側にある「戸谷八」は、創業永禄三年とあります。西暦1560年。
中山道辛味処、電気館カレー。
左側にある赤レンガの建物。お隣、深谷が煉瓦の産地であり、この深谷煉瓦を使用した、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫です。
右手に安養院。
街道筋には、いい感じの建物が見られます。
右側に現れる金鑚神社。大切な右折チェックポイントです。
金鑚神社の向こう側、信号千代田三丁目で右折です。
右折すると、歩道(左側)に、中山道の宿場名が埋め込まれています。日本橋から草津まであります。
宿場名の埋め込みが尽きたところ、歩道橋の手前を左折します。
旧道の様子。
まもなく旧道は県道に合流します。
県道沿いではありますが、趣のある家が見られます。
上里町に入ります。
左手に浅間神社。古墳の上に祀られているそうです。
御陣場川を楠森橋で渡ります。
道の両側に庚申塔があります。これが左側の庚申塔。
右側の庚申塔。
蔵。
信号神保原1丁目。T字路を右折します。
信号神保原(北)で国道17号線を横断し、向かい側の斜め左方向に道に入ります。
左側に、石塔石仏群に囲われた薬師堂があります。
右手に金久保八幡神社。
左手にある、金窪城址案内板。
右手にある、三国道入口の標石。新町宿への直路ができるまでは、ここで曲がって、倉賀野宿に向かっていたそうです。
左手に陽雲寺。
右手にある畑時能首塚。新田義貞の家臣です。
左手にある中山道解説板。
右手にある慰霊の碑。
右手に石塔石仏群。
その先に一里塚跡。お堂の脇にあります。
街道が国道に合流する直前にある、趣のある塀。
信号勅使河原(北)で国道17号線に合流します。
神流川(かんながわ)を神流川橋で渡ります。
神流川を渡ると群馬県、上野国です。
神流川古戦場跡碑。
街道はここで国道から右手に分かれます。新町宿に入っていきます。
Y字路の又に復元された見透燈籠。
右手に八坂神社。
右手に諏訪神社。
右手に専福寺。
右手に浄泉寺。
右手に高札場跡。
そして新町宿のチェックポイント、信号新町駅入口です。12:09着。
本庄宿からの区間距離は9.0km。所要1時間51分、歩数11,788歩。平均時速4.9km、平均歩幅76cmでした。